「擬態能力」を活かして手に入れた自分の巣
「普通」になりたい。「普通の生活」がしたい。
それほど高望みとは思えない願いが、私にはあまりにも遠かった。学生時代、周りの同級生はみんな「普通」に見えた。幼馴染と私だけが、どこか浮いていた。学友たちは口々に親の悪口を言い、家庭内の不満を臆することなく吐き出していた。私たちは、学校では親の話をほとんどしなかった。するにしても、当たり障りのない話にとどめた。自分の家庭が「普通ではない」ことを自覚するのと同時に、嘘をつくのが上手くなった。嘘には、2種類ある。「起きていないこと」を「あった」とする嘘と、「起きていること」を口を噤むことで「なかったこと」にするもの。後者の嘘が上手くなるのは、被虐待者の特徴の一つである。
「普通」がわからない私は、「普通のフリ」だけが上手くなった。それは、昆虫や爬虫類で言うところの「擬態」に似ていた。周囲の色に体を染めるカメレオン。木の幹と羽を同化させる蝶。真似て溶け込む。そうすれば、バレない。自分の家庭が、社会において「異物である」ことが。
「普通の人間」に擬態する能力は、もとは「虐待の事実を知られると困る親」のために身につけたものだった。だが、皮肉なことに、その特技が私を生かした。紆余曲折あったものの、どうにかして職を決め、アパートの契約にまでこぎつけたのは、擬態能力の成せる技だったと言っても過言ではない。勤め先の人からは、わりと早い段階で信用を得られた。そのため、職場の人の協力でアパートを借りることができた。
初めて手に入れた自分だけの巣は、狭いワンルームだった。台形の間取りで使い勝手が悪く、築年数が古く隙間風が酷い。それでも、お風呂とトイレは分かれていたし、何より「安心して暮らせる場所」を得られたのだとようやく安堵した。
私には、実家を出たらやってみたいことがあった。そのうちの一つが、「お風呂で読書をすること」だった。実家では、入浴時間が「着替えを含めて30分以内」と決められていた。1分でも過ぎれば折檻が待っている。竹の定規で臀部を打たれるのは、痛み以上に屈辱が勝った。
「長湯をする時間があったら勉強しなさい」
それが母の持論だった。テスト前の3日間は、シャワーを浴びることさえ許されなかった。これが「教育虐待」だと知ったのは、ほんの数年前のことだ。