言えなかった願い。「愛してほしかった」

入浴時間に限らず、いつも何かに急き立てられていた。早くしなければ。早く結果を出さなければ。早く、早く、早く。親が決めたタイムスケジュールと価値観に沿って動くのは、ひどく疲れるものだった。

そもそも私は、そんなに要領の良い人間ではない。何をするにも時間がかかるし、物覚えは悪いし、決断力もない。高い偏差値を保てていたのは、「学年1位」「全教科満点」以外を許されない環境にいたからだ。勉強中に眠気に襲われた際には、自らの手の甲にコンパスの針を突き立てた。痛みを与えると、脳が緊張状態に陥る。強制的に目を覚ますのに、この方法は手っ取り早かった。親が私に浴びせる暴力の片鱗から、このやり方を思いついた。“まともじゃない”と、今ならわかる。だが、当時の私にとって、これは自然のなりゆきだった。

「要らないのに産んでやったんだから、良い成績くらい取ってきなさいよ」

そう言った母の顔は、怒っていただろうか。笑っていただろうか。今ではもう、思い出せない。本能が強く拒否した記憶は、時折デリートされる。数年後に突如思い出すこともあるし、ずっと思い出さないままのこともある。これは、現在通っている病院の主治医から言われた言葉だ。

受けた行為の屈辱度合いは、父のそれのほうがはるかに勝る。だが、私の記憶は、母にまつわるもののほうがぼんやりと霞んでいることが多い。母が父の性虐待を見てみぬフリをしていたことも、思い出したのは数年前だ。それまでは、「母はこのことを知らなかった。だから助けられなくても仕方なかったのだ」と思い込んでいた。

人間の防衛本能は凄まじい。心を守るために記憶を書き換え、別の人格を生み出し、現実の痛みを淡いものへと変える。ちなみに私は、解離性同一性障害の診断を受けている。交代人格の数は、私の状況により増減する。

お母さん、ゆっくりお風呂に入りたいよ。

そんな希望さえ、口に出せない。「愛してほしい」など、到底言えるはずがなかった。叶わぬ願いほど、諦めるのが難しい。その痛みに飲まれそうになる夜、私はいつも物語を開く。