通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として”大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私―-碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私―-碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある
性虐待は、被害者側も知られるのを恐れる
性虐待は、その最たるものだ。されている行為の意味を正確に把握できる年になると、余計に被害者は口を閉ざす。
誰かに知られるくらいなら、死んだ方がマシだ。
学生当時、私は本気でそう思っていた。だから、誰にも言わなかった。必死に「普通」を装い、どこにでもいる一般家庭の子どもかのように振る舞った。素行は真面目で、勉強は好成績。スカート丈、靴下の色、髪型。すべてにおいて、「枠」からはみ出さないよう細心の注意を払った。「家庭に問題がある」=「素行に問題がある」という方程式が、大人の世界では容易に成り立つ。その方程式を遵守している限り、私が父にされている行為が表に出ることはなかった。