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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として“大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私―-碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある

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子どもだった私たちには、力がなかった

両親から日常的に受けている虐待の実態を知り、「いつでも逃げてこい」と言ってくれた幼馴染が、突然家出をした。彼が私に逃げ場を提供してくれたことで、私は生まれてはじめて、この世界に安心できる居場所があることを知った。でも、呆気なく失った。鍵の閉まった部屋は、彼の心象風景を表しているように思えた。私が彼を頼るようには、彼は私を頼ってはくれなかった。いつも寂しそうな顔をしながらも、心の奥深くに頑丈な鍵がかかっていて、私にはそれを開けるだけの力がなかった。

悲しくて、寂しくて、彼の家のそばにある河原の茂みで声を殺して泣いた。私の泣き声を隠してくれる彼の胸は、もうない。どこにいるかも、何をしているのかもわからない。

彼が親とうまくいっておらず、寒々しい気持ちを持て余していたことには気付いていた。でも、彼は何も話してくれなかったし、私の側も積極的に聞こうとはしなかった。私も彼も、互いにわかっていたのだ。「自分には何もできない」という現実を。

所詮私たちは学生で、お金もなければ力もない。何かを動かすことも、変えることも、目の前で泣いている人の明日を救うこともできない。だから、互いの体温を分け合って眠るのが精一杯だった。

彼が好きだった。人としても、異性としても。でも、私たちは恋人にはなれなかった。恋人にならないようにしていた、といった方が正しい。明るい未来を描くには、私たちの日常はあまりに脆く、二人とも途方もなく無力だった。