失った巣穴と、抱えきれぬ喪失感
「俺、たまにお前の父親殺したくなるわ」
幼馴染と抱き合った何度目かの夜、そう言った彼の目は、笑っていなかった。「殺す価値もないよ」と苦笑しながら吐き捨てたものの、心臓は痛いほど脈打っていた。もしも本当に何かが起きてしまったら、彼に聞かせた私のせいだ。どうしよう、そうなったらどうしよう、彼が父を殺したらどうしよう。不自然に目を泳がせる私の頭に、大きな手のひらをぽんと乗せて、彼は言った。
「冗談だよ。やらねぇよ。なんだかんだ言ったって、俺は俺が一番大事だから」
その言葉に、安堵すると同時に傷ついた。こういう時、映画やドラマなら「一緒に逃げよう」と私の手を取って共に家出をするのがセオリーだろう。でも、彼は「自分が一番大事」と言った。そして、その言葉通り、彼は居なくなってしまった。私を置いて、ひとりで。
一度知ってしまった安心を突然取り上げられるのは、あまりに辛く苦しいものだった。父の酒の臭いが、前にも増して苦痛に感じた。触ってほしくなかった。彼以外の人間に、肌を晒すのは嫌だった。
助けて。
心の中で繰り返し叫んだ悲鳴は、誰にも届かなかった。部屋の柱に吊るされたピエロの人形だけが、いつも私を見下ろしていた。「こっちにおいで」と言ってくれているようにも、嘲っているようにも見えた。いっそ人形になりたかった。何も感じず、何も思わず、言われるがままに動く。両親が私に望んでいたのは、それだけだった。彼らにとって、私の意志は必要のないものだった。
私は段々と、意識を飛ばすのが上手くなった。昔から時々時間が欠けることがあったが、誰しもそういうものだと思って気にも留めなかった。中学から高校にかけて、その症状は顕著になった。気付いたら朝になっていることが増えて、そういう夜はいくらか楽だった。でも、一部始終を覚えていることもあった。悪夢と現実の区別がつかなくなり、学校でも父の幻覚を見た。悲鳴を押し殺そうとするたび、過呼吸の発作を起こした。教師たちは、「受験勉強のストレスだろう」と言った。