決断したのは68歳のとき。最初、教職員の皆さんは「このおばちゃん、誰?」みたいな感じでした。だからまず私のことを知ってもらおうと思って、80代の親が50代の引きこもりの子どもの生活を支える社会問題をテーマにした『小説8050』を自分で450冊買い、サインして配ったんです。

それにできるだけランチ会で懇談して。そのうち皆さん、私が一所懸命だということを理解してくれるようになりましたし、会議での決断力にびっくりしていると思います。

湯川 今度の上司は自分たちの思いを理解してくれるのではないかと期待が生まれたんじゃないかしら。「女性がいると会議が長くなる」という政治家の発言があったけれど、じつは性差、ジェンダーが大事なんです。政治でも女性が組織に入ること自体が必要なの。それにしてもよく決心なさいましたね。

 誤解を恐れずに言えば、「面白そう」と思ったから。人に相談したら止められるだろうとわかっていたので、家族にも言わず、自分一人で決めました。

湯川 「面白そう」という感覚は大事よね。私も何事につけ、「好きだから」「やってみたい」という思いでここまできました。

 私もそうです。ただ理事長の件は、子育ての最中では無理だったと思うし、10年前だったら断っていたかもしれません。いろいろな経験を積んできた今だからこそ、母校の学生のために、とお引き受けしたんです。

湯川 作家としてはずっと挑戦の連続でしょう?

 そのことはいつも考えています。瀬戸内寂聴先生が亡くなる前に、「作家は死んだら次の年には書店の本棚から消えていくのよ。私の中で残るのは『源氏物語』の訳だけね」とおっしゃっていました。

その言葉がすごく心に染みていて、やはり後世に残るものを1冊書きたい。挑戦し続ける、という気持ちは枯渇しません。枯渇しないんだけど、本当に時間がなくて、どうしたらいいんだろう……。(笑)