ラグビーの代表選手は、居住年数など一定の条件を満たせば、国籍と異なる国の代表としてプレーできます。多様なルーツを持つ選手たちは、なぜ「日本代表」となることを選んだのでしょうか。それぞれのライフヒストリーと、秘められた熱い思いをノンフィクションライターの山川徹さんがたどります。山川さんはトンプソン選手について「彼を並の選手と一緒にしない方がいい」と言っていて――。
トンプソンが語るジャパン
柔らかな陽射しのおかげで、寒さはさほど感じなかった。
2018年12月23日、埼玉県の熊谷スポーツ文化公園ラグビー場の観客席で、私は選手たちの登場を待っていた。シーズン当初は緑色だった芝生が、スパイクで踏みしめられて茶色に変わってしまっていた。
シーズンは大詰めを迎えていた。トップリーグ昇格をかけて日野レッドドルフィンズに挑む近鉄ライナーズ(現花園近鉄ライナーズ)にとっては今シーズンのラストゲームである。 スカイブルーを基調にしたジャージの近鉄の選手と、赤いジャージを着た日野の選手が次々とグラウンドに入ってくる。
スカイブルーの4番を背負ったプレーヤーが姿を見せたとたん、観客席のあちこちから歓声が上がる。「トモ、がんばれ!」「トモ!」
敵方である日野のファンが陣取るエリアからも「トモさん!!」と声が上がる。「トモさん」が、いかに日本のラグビーファンから愛されているか。スタジアムの歓声が示していた。
トモさんことトンプソンルークは、日本代表のロックとして、10年近くフォワードの核となったプレーヤーである。2007年、2011年、2015年の三度のW杯に出場。196センチ、110キロのサイズを活かし、キックオフ、ラインアウトの空中戦を支え、ボールを持てば敵フォワードに身体をぶつけ、アタックの起点となる……。日本代表での彼のプレーは、いつも変わらなかった。
いつしか、トンプソンルークの名が日本代表のメンバー表に並ぶのが、あたり前になっていた。積み重ねたキャップは、海外出身選手としては最多となる64。日本人選手を合わせても歴代6位の数である。