振り返れば、自分には何もなかったんです。ポッと出の元モデル。小倉のスナックで働いていた16歳の僕が、モデルになろうと思ったのは「月5万円稼げる」と言われたから。福岡では仕事が少ないからと上京したのが70年。その後すぐに資生堂のCMに抜擢され、74年には映画デビューを果たしました。

劇団に所属したこともないから、芝居の基礎が身についていない、声の出し方も知らない。それが強烈なコンプレックスになりました。加えて、「正統派二枚目」として扱われることにも抵抗があり、なんとかほかの自分を見せたいと思ったけれど、その力もなかった。

そこからは厳しい時代が続きました。俳優としては本当に寂しかったし、このままで大丈夫なのだろうかと、何度も弱気になりました。でも、やめようとは一度も思わなかった。僕には学歴もないし、ほかにやれることもない。お芝居しかないんです。その自覚があったから、ここまでこられたのだと思います。

30代で結婚したことも原動力になりました。家族のためにも稼ぎ続ける必要があった。だから、どんなに小さな役でもいいから、とにかくこの道を歩き続けようと。

とまあ、そういう時代が長かっただけに、60代半ばになってからの、この展開が信じられません。継続は力なりじゃないけれど、しがみついてきてよかった、と心から思います。おかげで、三谷さんのような、素晴らしいクリエイターと出会い、役者として新しい人生が動き出しました。人との出会いに恵まれたラッキーな人生と言うべきなのかもしれません。

そういえば、16歳でモデル事務所を紹介されたときも、めったに事務所に顔を出さない偉い方がたまたまいて、カメラテストをしてくれたのがきっかけでこの世界に入れた。

三谷さんとの出会いは、僕にとって2度目の人生の転機ということですね。