最後の3年、母とは大バトルでした

やました さやかさんは、晩年のお母さまと仲直りをされてよかったですね。

青木 はい、胸の詰まりが取れたような気持ちになりました。

やました 私はあまり仲直りできずにお別れしたのよ。最期の言葉は「何にも捨てんといて」

青木 そうだったんですね!

やました でも捨てました。後始末をしないまま旅立っていくのは母にとっても気の毒だと思ってね。私と母は相克の関係にあって、母が黒だったらこちらは白、母が肉なら私は野菜、彼女は白米じゃないとご飯じゃないと言っていたけれど私は玄米が食べたい、とかね。母はいい家柄でお嬢さん育ちだったのだけれど、戦争で全てを失ってしまい、いつも不満を抱えていました。そして悪いことが起きると大体人のせいにするので、私とはいつもバトルになってしまう。モノもたくさん溜め込んでいて、何もかも捨てないでほしいと意固地になっていました。

『母』(青木さやか・著/中央公論新社)

青木 私も母に反発していましたが、反発するあまり早くに家を出たので、似ているのか正反対なのか、よくわからないです。母は晩年がんを患ったので、最期はかなり色々なものを自分で処分して始末良く亡くなっていきました。

やました 立派な方よね。ご本を読んだら、離婚当時、母は母ではなくオンナにみえた、と。私はね、さやかさんのお母さま、カッコいい女性だったと思っていますよ。

青木 友達の生き方ならば「カッコいい」と思えたのかもしれませんが、当時は子どもだったので、ものすごく反発していました。世間体を気にする性格だったのに、内情はこれか!という気持ちもありました。私たちの暮らしていたのは狭い町だったので、一時は、離婚により町の注目を集めた青木家でした。

やました でもお母さまは最後は校長先生にもなられましたよね。それは実力で、悪評なんかものともしなかったということでしょう。私はパワフルで魅力的な女性でいらしたと思います。

青木 母は私と弟に結構な額のお金を遺してくれていました。私が仕送りしたお金も全部使わずにいてくれたこともわかって。ひでこさんに「お金は愛よ」と言われたことがとても印象に残っています。