「親のために」野球をやっている?

とても上手な子、優秀な子、決められたことをきっちりやる子でさえ、実は「ホントはイヤでしかたがない」と本音を打ち明けることがある。厳しい練習や試合から抜けるのを親に言い出せないでいる子はとても孤独だ。反抗期が落ち着くまでに、一度や二度親と衝突して「本当は野球なんてやりたくなかったんだー!」と大爆発する話は、決して珍しくない。
これ野球に限ったことではないんだが…。

そんな子を見るたびに、
「うちの子はどうなんだろう?」と考えたりもする。

我が家は「2世」と呼ばれることがあり、息子が野球をやっていないほうが珍しいと最初から思われている節があるからだ。翔大は最初サッカーを習っていたんだが…でも今2人とも野球を本格的にやっていることを、だれも不思議に思わない。

だけどもし、子どもに本当に好きなものを選ばせたとしたら、うちの子は野球を選んだだろうか、と考える時がある。親はその答えに全く顔色を変えず、受け止められただろうか、と。

一生懸命頑張っているわが子を応援することに喜びを感じ、そこに結果が伴った時の大きな喜びを親子で分かち合えるのは、親として本当に幸せなことだ。

朝7時過ぎの甲子園「ここかぁ…」という感慨が

でも、それは同じく我が子にとっても同じくらい幸せなことかというと…よくわからない。

「父や母が喜ぶ顔を見るために、頑張ります!!」

こう言われればわかりやすいが、子どもって案外そんなに率直でもない。特に父と息子の間で、わざわざ口に出して「親のために」とは言わないのが普通。でも明らかに父親(母親)にほめてほしくて野球を始めた、と言う経緯が、ないではない。そんな子が結構多いように思うのだが…。
何度も言うが、これも野球に限ったことではない。

実際に苦しい苦しい練習を乗り越えて、怪我や自分の不調とも戦い、レギュラー争いも勝ち抜いていかねばならないのは、その子自身。
親はそばで励ましたり褒めたり、たまにカミナリを落としたりお弁当にわざと嫌いなものを入れたりして(…私だけか)とにかく野球に送りこむ。けれどどんな時も、暑い日も寒い日も調子が良くても悪くても、やめたくて仕方ないとしても、野球をやり続けるのは本人なのだ。
そこを、親はどんなことがあっても助けてあげられない。