朗読や演劇の世界に憧れていた頃の中野さん(写真提供◎中野さん)

その後、27歳で同郷の男性と結婚した。「一生人に使われるのは嫌だ」と言い出した夫が東京で飲食店を始めたが、店舗が立ち退き要求に遭ったことから長野へ帰郷。自宅の1階で蕎麦店を開くことになったという。

「お蕎麦もうどんも手打ちでね。負けん気の強い人だったから、近所に美味しいラーメン屋があると聞くと、『俺のほうが美味しくできる』とラーメンまで始めて(笑)。市役所の近くだったので、ずいぶん繁盛しました」

休みは週に1日だけという生活。演劇などの趣味を楽しむ余裕もなかった。夫婦で忙しく働き2人の息子を育て上げ、老後はゆっくり過ごしたいね、と話していた矢先、夫ががんで亡くなってしまう。中野さんが57歳の時だった。

「店を閉めて、一人になって。なんだかぼーっとしたまま、気がついたら3年くらい経っていました」

そんなある日、新聞でふと目に留まったのが、市民劇団の参加者募集の記事だった。

「そういえば私、舞台に立ちたいという夢があったじゃない、と思い出したんです。このまま家に引っ込んでいても、ボケ老人まっしぐら。それではいけないと思って応募してみたら、オーディションに受かったの」

舞台には、子どもから大人まで総勢40人以上が参加。北陸の瞽女(ごぜ)を題材にした作品は好評を得て、新潟まで行って上演したこともあった。

「舞台に立つと、達成感と満足感がものすごく大きい。頑張った甲斐があった、やったーって思えるんです」

その後もほかの市民劇団などに参加し、演じること、自分を表現することの楽しさを知った中野さん。「もう一度ちゃんと演技を勉強したい」と、72歳で東京にある芸能事務所運営の養成所へ通い始めた。新幹線で月2回上京し、演技や時代劇の所作、歌唱のレッスンを2年間受け、卒業後は系列の芸能事務所に所属。エキストラとしてドラマや映画への出演も果たしたという。