青春のすべてだった男闘呼組

高橋 当時は、3ヵ月に1枚シングルを発売していた時代。しかも発表したからには1位にならなきゃいけない。常に追い立てられていると言うか、ものすごいプレッシャーの中でやっていました。

岡本 ……プレッシャーとかあった?

前田 そりゃあるでしょう、売れなきゃっていう。

成田 えー、そう?

岡本 ここ(岡本と成田)とそっち(高橋と前田)の温度差(笑)。当時は「売るのはレコード会社の仕事。俺たちは演奏して歌うだけ」って思ってたよ。

高橋 僕らはデビューから3年ほどは作家陣の作品をプレイヤーとして演奏していたけど、どんどん「自分たちで作詞作曲をして、バリバリ発表していきたい」という気持ちになっていったよね。自分たちでセルフプロデュースするようになって、生みの苦しみみたいなものも経験して。アイドルからアーティストへの移行を目指したとでも言うのかな。今も同じで、ミュージシャンとして何ができるだろう、どうしたら皆を喜ばせることができるだろうと考え続けている。だから男闘呼組にしても「懐メロ」じゃないんですよね。「ミュージシャンスピリットを持ち続けてきた現在進行形の、おじさんになった男闘呼組を見てくれ」という気持ちでやっているんです。

岡本 そう、ファンの思いとか、いろんなものを背負ってね。――もう和也がこうやって全部受け止めて考えてくれるから、僕らはすごくラクなんですよ。何もしなくていい。

前田 ライブでも観客全員の心を一瞬でつかんで、グイーッと引っ張っていきますから。今後も変わらずに走ってもらわないと。

成田 あの一体感はすごい。いつも「和也の代わりはいないな」と思って見ています。

高橋 僕は、結成した時から「男闘呼組命」だったから。自分の青春のすべてだったし、男闘呼組が大好きだった。時にはケンカもしたけど、自分の人生の中で何が一番かって言ったら男闘呼組であること、男闘呼組がカッコよくあること。それが最大の喜びでした。

岡本 ライブ中に突然不思議なMCが始まったりするけど(笑)、そういうのも含めてのライブだから。計算じゃなく楽しんでいきたいよね。

前田 和也の熱の高さは僕らも認めてるし、「もっとやって!」って思ってるよ。