浅野さんが手縫いで作った、小さなサイズの産着。折り紙の花は、棺に入れてあげるそう。掌にのるくらい小さな赤ちゃんのために布団も用意している

膿盆はそもそも、人を載せるものではありません。当時、私自身が助産師として死産の赤ちゃんを取り上げる時は、抱き上げて布でくるんでから、看護助手にお願いしてかわいい箱や布でベッドを作ってもらい、そこに安置してお渡ししていました。だから膿盆のまま渡すスタイルの助産師さんがいるとは思っていなかったのです。

ただ、グリーフケアという概念も知られていなかった20年以上前のことですから、仕方ない部分もあったのかもしれません。流産や死産で亡くなった赤ちゃんは「水子」という言葉でひとくくりにされ、「なかったこと」にされてしまう時代でしたから。

 

母親と一緒にできることを探して

赤ちゃんのお洋服を作ろうと思ったのは、型紙をもらって1年ぐらい経ってからです。お子さんを私と同じような月齢で亡くされた方がいて。自分のことのようにつらくて、何かできないかと考えていた時、そうだ、お洋服を作ろうと思ったのです。

赤ちゃんに着せられる柔らかい素材の布を探したけれど売っておらず、既製の赤ちゃん用肌着を買ってほどき、縫い直しました。初めて作ったお洋服をその方にお渡ししたら、「こんなに小さいんですね」と、服を抱きしめながら泣き崩れられて。

お洋服は亡くなった赤ちゃんとお母さんのことを考えながら一針一針手で縫うので、基本的には作り置きはしません。ただ、差し上げる時には選べるように2着用意します。母親が子どものために何かを選んであげられることが大切だと思って。

お母さんの体調によっては、「よかったらお洋服の端切れでスタイ(よだれかけ)を作ってみますか?」と手芸セットをお貸しすることも。夜中に一所懸命に縫われて、翌朝お部屋に伺うと、すごくかわいいスタイができあがっていたりするんです。