ワイパーとサイド・ミラーが盗まれた

そこで交渉が始まり、日本人には初めて、警察の意図がやんわりとわかってくるのである。つまり仕事を遅らせることなく、今すぐ現状のままで橋を通りたければ、少し寄越せ、ということなのである。

工事が始まると、彼らはすぐ泥棒に悩まされるようになった。何もかもなくなる。日本人は自分の部屋の戸に鍵をかける習慣さえない人々であった。ましてや自動車には、鍵をかければ充分だという発想しかしたことがない。

『今日も、私は生きている。: 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(著:曽野綾子/ポプラ社)

鍵をかけて事務所の前のモーター・プールに置いておいた車から、ワイパーとサイド・ミラーがなくなっているのには驚嘆した。共に車体の外部に設置されている部品である。

結局日本人たちはそれ以後、ワイパーをつけ睫毛(まつげ)と同様に考え、事務所兼宿舎に帰ってきたらとってロッカーにしまう制度を取った。

一番大きな盗難は、撒水車(さんすいしゃ)だった。犯人はその車の運転手だったのだから、防ぎようがなかった。

とられた撒水車は痕跡(こんせき)も見つからなかった。ライオンが縞馬(しまうま)を食べるよりももっと完全に解体して、バック・ミラーはバック・ミラーで、シートの材料はシートの材料で、売ってしまったからである。