その国なりの官僚機構

日本だったら、業者から賄賂をとって手心を加えるということで、役人も政治家も袋叩きに遭うのが普通である。現に我々は、一(ひと)月に一度くらいの割で大小さまざまな汚職事件を新聞で読まされている。

その度に与党の堕落を責める投書も新聞に載(の)る。私流に言うと、悪いとわかっていることを糾弾する投書くらい退屈で、自信に満ちたいやらしいものはないのに、である。

しかしタイの警察については――誰も真相はわかるわけはないのだが――受け取った規則外の金を、あれでけっこう手下にやってるらしいですよ、という話もある。

もちろん人によって違うだろうが、それがその国なりの官僚機構になっていて、その通念を冒(おか)せば、自分の仕事がうまくいかないからということもあるかもしれない。

私はまだ、自分が大きな額のお金を、自分の仕事上の便利のために蔭でこっそり出したことはないのだが、日本人が賄賂と呼ぶものに、私自身はそれほど道徳的な反感を持っていないのも事実である。

賄賂は人殺しや放火と比べものにならないほど罪が軽い。と言うと、反論も聞こえてきそうである。金を包んでこない患者には、まるっきりやる気を示さない医者というものもいて、そういう連中は金のない患者を取り殺すようなものじゃないですか、というような意見である。

※本稿は、『今日も、私は生きている。: 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。


今日も、私は生きている。: 世界を巡って気づいた生きること、死ぬことの意味』(著:曽野綾子/ポプラ社)

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