警察もお金を要求してきた

しかし解体したら意味のないようなもの、例えば発電機などは、どこそこの村にある、と警察から通報されてくることもあった。所在がわかれば、それで出てくるものと日本人は思う。

しかし警察は、それを取ってくるための金を要求した。こうなれば、警察に手数料を払って発電機を取り戻すか、新たに日本から買って取り寄せるか、である。しかしそうなればまた時間がかかる。

30代前半、着物姿の曽野さん。(1963年9月16日撮影、本社写真部)

結局、人々は警察に払う方を選んだが、警察に払う金を何という名目で本社に要求すればいいかということが当時ではまだけっこう「気に病む」ことだったのである。

これは、日本の企業が海外進出をした初期の物語である。タイも、豊かになったし、豊かになれば、人々の生活も当然変わってくる。ただ当時でも、タイの泥棒の中には、庶民的解釈による仏教思想があるのではないか、と指摘した人はいた。

仏教の思想の中には、富める者は貧しい者に恵めば功徳があるという考えが根強い。だから持っている人が自発的に恵む前に(気をきかせて)勝手に少し取るのだ、と言った人がいた。

しかしそれとは別に、恐らくタイの警察は、日本人のそれまでの気のきかなさにうんざりしていたのだろう。何か特別に頼む時には、チップというものをやるのが普通なのだ。

しかしチップの習慣のない日本人は「ご苦労さん」の一言で終わりである。それなら、最初から「いくらいくら出してくれれば、盗まれた発電機は取ってきますよ」と言った方がいい、という結論になったのかもしれない。