しかしあるとき、友人の一言で武田さんの遅刻癖は劇的に改善する。
「当時よく遊んでいた友人との待ち合わせにいつものように遅刻して行くと、『毎回待たされるのはもういや』と泣かれてしまって。そのときに、人は待たされるのがいやなんだな、とようやく気づいたんです。以降、遅刻しなくなりました」
また、武田さんは幼少期、自分の気持ちや意見を口に出せない傾向が強かったが、これもある出来事がきっかけで改善に至ったという。
「幼少期から母親のモラハラがひどく、口答えできなかったこともあり、寡黙な性格でした。ところが中学生のとき、三者面談で黙りこくっている私に向かって先生が、『あなたは母親から死ねと言われたら死ぬんですか?』と聞いてきて。そのとき頭の中にある反論の言葉を口に出せなかった悔しさから、自分を変えようと固く誓ったんです」
その日を境に武田さんは、頭の中で“台本”を作るようになる。
「『今日はこれを話す』『相手がこう言ったらこう返す』という緻密なものです。記憶力がいいからすぐ覚えられましたし、台本があることでスムーズに話せました」
発達障害の傾向があること、それを周囲が不快に思っていること、そして生きづらさを感じるたび、自らを変える努力を重ねてきた。しかし、いまだに油断をすると発達障害の傾向が強くなると明かす。
「行動パターンが同じになるという自覚もあるので、新しいお店を開拓したり、異業種交流会へ参加したりして、行動範囲を広げるようにしています」
かつては人の気持ちを察することが苦手で、相手が悲しんでいることに気づけないことも多々あったが、心理学の本を読むなどして、人の心に寄り添う努力も続けている。
「クロと診断されたら、『うまくできないのは私のせいじゃない』と思えたかもしれません。だけど、自分のことは自分がわかっていれば十分だと思うので、私には診断は不要です」
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武田さんのように、「グレーゾーンであることも自分らしさと思える」状態は、ひとつの理想のかたちといえるだろう。けれど、そこに至るには想像以上の努力を重ねることが必要にちがいない。
「グレーゾーンを含む発達障害当事者の困難に配慮できるようになれば、当事者だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会になると思っています。そのために、まずは当事者自身が自分の特性をきちんと理解することが大切。そのうえで周りがフォローしてあげられれば、グレーゾーンにいる人の生きづらさはぐっと軽減されるはずです」と前出の姫野さんは語る。
人間は誰もが皆と同じように振る舞えるわけではないし、振る舞う必要もない。このことに気づき、お互いがお互いを思いやれるようになれば、この世の生きにくさはきっと薄れていくだろう。