仕事を依頼してくださった方は、たぶん僕が識字障害であることを知らなかったのでしょう。落語家は一人で何人もの声を演じ分けるし、僕の落語を聞いて、これほどの適任者はいないと思ってくださったのかもしれません。それならば頑張りたい。
漢字にはすべてルビを振り、稽古を積み、収録のスケジュールもゆったり組んでもらった結果、OKをいただけるものに仕上げることができました。正直、本当に大変でした。でもその分、とてつもない達成感がありました。僕にとっては、人生で一番大きな仕事だったかもしれません。
時々空から落ちていた鳥がやっと止まり木を得て
今は、自分が学習障害、発達障害だとはっきりわかって、本当によかったと思っています。「障害」という呼び名も、ちっともイヤではありません。
学習障害という診断が下ったことで、どれほど救われたか。飛びっぱなしによる疲労で時々空から落ちてしまっていた鳥が、やっと止まり木を得たのです。だから、止まり木を奪わないでほしいと思っています。
なかには優しさから、「花緑さんは障害ではないですよね」と言ってくださる方もいますが、その優しさは、実は僕にとって酷なものです。なぜかというと、それは「あなたの努力が足りなかったんだ」ということの裏返しでもあるからです。
結局、「バカな小林君」に戻ってしまう。みんなができることができない小林君。じゃあ、もっと努力してみようか、と。努力が足りないと言われるのが一番つらい。努力してもダメなんだということを、理解してほしいと思います。
そして目に見えてわかる障害を持っている人や、僕らのように一見わからない障害のある人も含めて、いろいろな人がバリアフリーで生きることができる社会になってほしい。誰にでも得意不得意があります。できないことは、できる人がカバーしていく世の中になればいいなと願っています。