教科書を音読できずクラスメイトにバカにされ
今は自分の学習障害についてこんなふうに堂々と、時にはネタにして喋ったりもしていますが、子どもの頃はハッキリ言って悲惨でした。勉強がまったくできない完全な落ちこぼれで、先生もクラスメイトも親も、「バカな小林君(本名=小林九)」と認識していた。自慢じゃありませんが、通知表の成績は1と2ばかりでした。
宿題はやってこないし、忘れ物の多さも普通じゃない。うちの祖父は五代目柳家小さんといいまして、ちょいと知られた名人でしたので、弟子が大勢いる。教室までよく忘れ物を届けてくれた祖父の弟子が、今、落語協会会長を務める柳亭市馬師匠です。当時はまだ前座でしたが、ガラッと教室の戸を開けて忘れ物を持って入ってくると、クラスのみんなが「弟子だ! 弟子だ!」と囃し立てる。会長、あの時は本当に申し訳ありませんでした!
勉強と名のつくものは一切できませんでしたが、図工や音楽は大好き。どちらも僕の中では「遊び」と認識していたので、ゲームをやるのと一緒です。絵を描いていいと言われたら、いつまででも描いていたい。レゴブロックも好きだったので、うちで何時間もやることも。だからもしレゴブロックという教科があったら、優等生ですよ。
一番つらかったのは、国語の授業で「小林君、何ページ目の何行目から読みなさい」と、立って読まされる時です。つっかえつっかえ、なんとか読むのですが、緊張するとますます読めない。漢字はとくに、まったく読めません。すると、クラスのみんなが笑うんです。今は高座で笑ってもらわなくてはいけないのですが、ウケて笑われるのと、バカにされて笑われるのでは大違い。
それでも「バカな小林君」がいじめにあわなかったのは、落語のおかげです。祖父の縁で小学生の時にテレビデビュー。当時はテレビ神話みたいなものがあったので、「テレビに出たんだって」ということで、ちょいと一目置かれる。もしそれがなかったら、いじめられていたかもしれないし、学校に行かず、引きこもりになっていたかもしれません。
考えてみたら、僕の人生はすべて落語に救われています。読み書きは苦手でしたが、落語は師匠から“口伝”で教えられたので、なんとか覚えることができたのです。
それを苦労してノートに書き、何度も何度も稽古し、リピートして覚えるわけです。今でも新作落語を覚えたりするのは大変です。大変であるということにやっと慣れた、という感じでしょうか。