大学生活はまさに学生コーチ三昧
慶應義塾普通部(中学校)の野球部が、僕にとって初めての野球チームです。ここで千本ノックなどをやってたら野球が嫌いになっていたかもしれませんが(笑)、実践的なプレーの練習をたくさんさせてもらったおかげで高校でも野球をやろうと思うことができました。
高校2年のとき、前監督の上田誠さんが監督に就任なさって、新しい監督の形を知ったんですね。上下関係を撤廃して、ご自身のことも「上田さん」と呼ばせた。サインを自分たちで考えてみろと言われたのは衝撃でしたね。これが今の私の指導のスタイルにつながっていると思います。
高校野球の指導者になりたいと具体的な目標にしたのは、サラリーマンになってからです。
私にとって、大学野球よりはやはり高校野球のほうが魅力があったので、大学生になってから母校の「学生コーチ」になりました。学生コーチは、頼まれてなるものではなく、ボランティアで自発的にやる気のある学生が名乗りを上げます。私の大学生活はまさに学生コーチ三昧でした。法学部法律学科でゼミ代表も務めたのでそれなりに勉強もがんばってはいたのですが、やはり上田監督のもとでの学生コーチは楽しかった。それでもまだ指導者になりたいという明確な目標はないままで、教職もとらずに卒業して一般企業に就職しました。
ところがサラリーマンになってみたら、正直言って面白くなかったんですよ(笑)。学生コーチがあまりにも楽しすぎて、就職して2年目からやめることを考えていました。サラリーマンをやめるときには、高校野球の指導者になりたいという目標を設定して、筑波大学の大学院に進学し、コーチングを学びました。
筑波大学で教員免許を取り、いずれは高校の教員になりたいと考えていたのですが、慶應義塾幼稚舎の体育専任講師の話をいただいて2002年に就任。翌年、小学校教諭の資格も取得しました。それと同時に、慶應高校のコーチにも就任しました。指導者として腰を据えて出発したのがこの時です。