誰のための高校野球か

2015年に母校野球部の監督に就任した森林さんは、2018年に春夏連続で甲子園に出場を果たす。『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』として出版された著書の中で森林さんが繰り返し述べているのは、「高校野球を変える」必要性である。
「坊主頭」や「長時間練習」など、「努力」「忍耐」という価値観を王道としてきた高校野球。それらはあたりまえのこととして議論すらされてこなかった。森林さんは、こうした価値観を批判するのではなく、立ち止まってみんなで議論してみようと提案した。慶應が優勝したら、世の中が相当変わるとも選手たちに伝えてきた。選手たちにも浸透しており、優勝直後のインタビューで、キャプテンの大村昊澄(そらと)くんは「日本一になる目的は高校野球を変えること。優勝して僕たちの考えに注目してほしかった」と堂々と述べている。

大村は頼りになるやつで、僕の言いたいことはきちんと全部言ってくれる。もう僕はいなくてもいいんです。(笑)

長髪とか笑顔など、表面的なことがクローズアップされていますが、「誰のための高校野球か」ということをみんなで考えたかった。

高校野球がいつの間にか大人の論理や大人の事情で動いてしまっている部分はないだろうか。また、いつまでも昔のいわゆる体育会系の価値観で、監督の言う通りやっていればいいんだ、何も考えずに言うことをきいていれば甲子園に行けるんだ、と無我夢中で目の前の練習を必死にやるだけになっていないだろうか。

スポーツ推薦で強豪校に入学して、全寮制で分刻みの練習メニューをこなして、夏の甲子園を目指す。ほかのことは何も考えない。その繰り返しが続くと、たとえ甲子園に行けたとしても世の中に通用しない大人になってしまう可能性があります。

少し前までは、礼儀正しくて、挨拶ができて、言われたことに素直に従って、体が丈夫、という人材が世の中に求められてきた。でも、時代はどんどん変化しています。AIにとって代わる職業が増えている今、一人ひとりがアイデアを出して人間にしかできないことを見つけていかなければなりません。つまり「自分の頭で考えること」が求められているんです。

監督さんたちは、自分たちがやってきたことを次の世代に伝えているだけかもしれません。でも時代は激しく変化しています。これまでの人生経験は大事。でも、それだけでは理解できない時代に突入しているんですよね。そのことを受け入れて、価値観を押し付けず、選手たちを主役にした野球だということを考え直してほしい。

野球に情熱を注ぎすぎるあまり、野球から離れたときに選択肢が限られてしまう。これは指導者を含めて危惧すべき問題です。

でも、これらはあくまでも僕の考えであって、賛否両論あるのは当然のこと。いろいろな意見があっていいんです。坊主頭のほうがいいという意見ももちろんあるでしょう。そこで思考停止していてはいけないのであって、考えて、そのほうがいいと思えばそれを選択すればいい。いまだに「坊主になるのがいやだから野球部には入らない」という生徒がいる現状はいかがなものかということです。