心を込めてつけた凄い四股名
ところで、スモ友(大相撲を愛する友人を私はこう呼んでいる)が、相撲史に残る大横綱・大鵬(幕内最高優勝32回、21歳3ヵ月で横綱)の四股名は、当時の二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)が、心を込めてつけた凄い四股名だと教えてくれた。無知な私は、反省してこの四股名について調べた。
本名の「納谷」から、昭和34年夏場所に十両に昇進した時に「大鵬」に改名した。
昭和の書物が読みたくなった。雑誌『大相撲画報』(昭和34年10月21日、朝日新聞社発行)には、十両の有望力士として大鵬が紹介されている。
「鵬」については『広辞苑』(昭和30年5月28日、岩波書店発行)で、中国の荘子「逍遙遊」にでてくることを確認し、『中国の思想12 荘子』(訳者・岸陽子、昭和42年7月15日、徳間書店発行)と『人類の知的遺産5 老子・荘子』(著者・森三樹三郎、昭和53年7月20日、講談社発行)を読んでみた。
要約すると、「北冥(暗い海)に巨大なコン(魚へんに昆)という魚がいて、化身して「鵬」という幾千里の背の広さの大鳥になり、南冥(天の池)にむかうとき、鵬は海面三千里に翼を打ちつけて飛び立ち、風に乗って九万里の高さに舞いあがる。そして、南冥まで六ヵ月の間、休むことなく飛びつづける」(漢数字は書物の通り)というのである。
セミと小鳩は気楽に飛べない大鵬を笑うのだが、小さな世界に住むものには想像ができない大きな世界、なににもとらわれない真の自由がある、という話なのだ。
横綱・大鵬の孫だから「王鵬」の四股名は当然として、宮城野部屋は師匠が横綱・白鵬、そして弟子は幕内に「伯桜鵬」「北青鵬」、十両に「輝鵬」「天照鵬」と「鵬」が揃っている。追手風部屋にも幕内に「大翔鵬」がいる。「ほお~、また四股名に鵬が」とか気楽には思えなくなった。