壁になった生活保護の扶養照会制度
薬がないと眠れない。唐突に沸き起こるフラッシュバックを薄めることも叶わない。そのため、食費を削ってまでも可能な限り病院に通った。
入院時、私は薬の副作用による手の震えに悩まされていた。そのため、自己判断で服薬をやめていたものの、退院後に「手の震えが起こると仕事に支障が出る」と医師に何度も訴え、薬は無事変更された。以降は、眠気や倦怠感程度の副作用で済んでいた。それらも不快な症状ではあったが、手の震えに比べればずっとマシだった。でも、肝心の病院代が手元にない。
「生活保護」制度があることは、当時から知っていた。だが、同時に「扶養照会」の制度があることも理解していた。現在は、本人の希望や生育環境が考慮され、扶養照会を行わない動きが進んでいる。しかし、20年以上前の時代、「扶養照会をしないでほしい」という私の訴えがどこまで汲んでもらえたかは定かではない。そのため、親に連絡が入るのを恐れ、私は生活保護を申請できずにいた。
慢性的な精神疾患においては、自立支援医療制度も用意されている。自立支援医療制度とは、収入額に応じて医療費の自己負担額を軽減できる公費負担医療制度のことだ。また、安定的に働くことが困難な人が受けられる障害年金制度もある。現在私はこの両方の制度を受け、国の支援策に支えられて生きている。だが、あの当時、いくつもの病院を渡り歩いた私に、これらの制度を教えてくれた病院はひとつもなかった。私にこれらの制度を勧めてくれたのは、今の主治医がはじめてだった。
私の障害認定日は、2001年。今から20年以上前に遡る。遡及請求(過去の未払い分を請求できる制度)は、最長5年までと定められている。15年以上、私は受けられるはずの支援制度を受けられずに生きてきた。私の障害等級は2級。現在の居住区では、月7万円が支給される。年間にすると、84万円。15年分の概算は、1,260万円にものぼる。
このお金があれば、私は病院に通い続けることができた。納豆を買うことができた。ガスを止められ、水で髪の毛を洗うこともなかっただろう。
支援制度を必要としている人は、往々にして「利用できる支援策を探して対策を講じる」余力など残っていない。そもそも、「知らない」ものを「探す」なんて不可能だ。あの当時、必要な支援につながれなかったことを「本人の怠慢」だと言われるのなら、私は問いたい。
なぜ、「困窮者のための支援策」なのに「必要な人に届きにくい構造になっているのか」と。