数学の教授にして犯罪組織のトップ
ふたりの兄弟がおり、ひとりはジェイムズ・モリアーティ大佐で、なぜかファーストネームが同じ。もうひとりがモリアーティ駅長だが、ファーストネームは不明。ジェイムズ・モリアーティ教授が長男なのか次男なのか三男なのかは、明記されていない(英語の「ブラザー」という単語は、兄なのか弟なのかを示さないため)。また大佐と同じ名前のため、「ジェイムズ・モリアーティ」という複合姓だ、とする説もある。
『小惑星の力学』という著作があるが、どのような内容か詳細は不明。教授としての年収は700ポンド。それなのに、4万ポンド以上するジャン= バティスト・グルーズの「子羊を抱く少女」という名画を所有している。
部下は多いが、副官は射撃の名手セバスチャン・モラン大佐。またフレッド・ポーロックというチンピラもいるが、この男は暗号でホームズに情報を漏らしていた。
しかし数学の教授がなぜ犯罪組織のトップに……と思ってしまうが、おそらくは彼にとって綿密な犯罪計画を立てることが、数学の問題を解くのと同じなのだろう。優れた頭脳の持ち主だが倫理的なところで一般的な罪悪感が欠如していたため、犯罪王モリアーティが生まれてしまったのだ、と考えられる。
ロンドンの犯罪界を仕切っていれば、犯罪を明るみに出して犯人を捕まえてしまうホームズの存在が邪魔になるのは当然。かくして「最後の事件」にて衝突することになり、挙句の果てにはスイスのライヘンバッハの滝で直接対決することになるのだった。
その後発表された『恐怖の谷』にも登場するが、これは時系列的には「最後の事件」よりも前に設定されている。そのため、「最後の事件」でワトスンがモリアーティ教授の噂を聞いたことがあるかとホームズに問われて「ない」と答えていることと矛盾してしまった。これについてはシャーロッキアン(ホームズの熱狂的なファンの総称)研究の課題となっている。
『恐怖の谷』のバールストン館事件では、表立って姿こそ見せないが、裏ではモリアーティ教授が糸を引いていたのである。
このジェイムズ・モリアーティ教授は、ホームズにとって難敵である巨悪だが、伏線もなく「最後の事件」でいきなり登場する。これは作者コナン・ドイルが、シャーロック・ホームズを書き続けるのを止めるために、ホームズに匹敵し得る悪を必要としたがゆえである。このモリアーティとの対決の末、ホームズのシリーズは(一旦)終了するのだ。
モリアーティ教授もキャラクター的には非常に存在感があるため、彼を主人公としたパスティーシュ(ほかの作家がコナン・ドイルの筆致を真似て真面目に書いた続編)も多数書かれている。
かつてはモリアーティ教授の名を知るのはシャーロッキアン(もしくは熱心なミステリファン)ぐらいだったが、現在ではスマホ用ゲームのキャラクターとして登場したり、モリアーティを主人公にした日本のコミック『憂国のモリアーティ』まで存在したりする。
※本稿は、『初歩からのシャーロック・ホームズ』(北原尚彦:著/中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。