無償の愛という大我

Bを選ぶ人は、元夫への情がわずかにでもあるのでしょう。離婚した夫婦の仲が必ずしも険悪とは限りません。感情的になって別れたけれど当時は楽しいこともあった、あるいは夫との仲は悪くなかったけれど嫁姑問題で苦しみ自分が家を出たなど、別れの理由は人それぞれだからです。「ひとりで旅立つのは寂しい」という元夫の思いに寄り添うのは、マザー・テレサのような無償の愛に等しい行動にも見えます。

けれど、そんなにキレイな感情ばかりではないのが人間です。かつて越路吹雪さんの「ラストダンスは私に」という歌が大ヒットしましたが、それと似た感情が心の奥にあるのでしょう。つまり、「あなたは浮気もしたけれど、結局、最後は私のところに帰ってきたのね」という満足感とでもいいましょうか。もう少し下世話な言い方をすれば、「ほら、最後に頼るのは私しかいなかったでしょ」という、勝ち誇ったかのような気持ちです。

それは確かに自分本位な小我に違いありません。ただ、小我な気持ちだけで、他人を最期まで看取ることはできないのも事実。結果的に小我を超えて大我(無償の愛)になるのであれば、それは幸せの道なのです。

ちなみに私の知る限り、今回のようなケースでBを選ぶ人は案外多いように思います。夫の浮気でゴタゴタした離婚劇があったにもかかわらず、最期を看取り「あの人は悪い人ではなかった。いいところがあったのよ」と満足げに言う人は少なくないもの。時間はかかっても、キレイな思い出、満足できるものになるなら、「終わり良ければすべて良し」です。

 

(イラスト◎大野舞)