(イラスト◎大野舞)
スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』のリニューアルにあたって始まった新連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第22回は「離婚して孤立無援の元夫が「余命宣告された」と頼ってきた」です。

Q 離婚して孤立無援の元夫が「余命宣告された」と頼ってきた

A)今は他人。見舞いはしても看取りまではしない

B)かつては家族だった人だから看取る

どんな結婚生活だったか

2019年の厚生労働省の調査によると、日本の1年あたりの離婚件数は婚姻件数の約3分の1にのぼるそうです。離婚する人がこのように多いとなれば、まったく関係ない他人の話とも言えないでしょう。

このケースの場合、判断基準はただひとつ。その選択をすることで、あなたの心が軽くなるかどうかです。まず注目したいのは冒頭部分。Aは「今は他人」、Bは「かつては家族だった人」です。あなたがしっくりくるのはどちらの言い方でしょうか。この部分には自分にとっての元夫の位置づけがどんなものか、つまりどんな結婚生活を送ったかが表れています。「ろくでもない男だった」と思う人はAでしょうし、「あの人にはいいところもあった」と思える人はBかもしれません。

私は、今回のお題はどちらの選択も幸せぐせだと思います。どんな結婚生活だったかによって、進むべき幸せの道はケースバイケース。最初にお話ししたように、あなたの心が軽くなることが最優先ですから、そのための選択ならばどちらも間違いではありません。

Aを選択した人は、きっと思い出すのもイヤなほどつらい結婚生活だったのでしょう。ようやく離婚でき、安泰な生活を送っていたのに今さら頼ってこられてもうんざり。本心がそうなら、「私たちはもう家族ではなく他人。だから看取る筋合いはありません」と相手に告げていいのです。

「死が目前に迫った人に、そんなふうに言ってしまったらかわいそうかしら」と思う人は、たぶんそこまでひどい結婚生活ではなかったのでしょう。「相手のことは一日も早く忘れたい」と思う人ほど、きっぱりと割り切ってAを選べるはずですし、むしろそのほうがその後の人生も心軽やかに生きられます。また、自分がすでに再婚し、新たな家庭がある場合もAを選ぶかもしれません。それもやはり幸せぐせの選択です。それこそ「今は赤の他人」という筋を通せばいい。自分の選択を「冷たい対応」などと思う必要はないのです。