自己治癒力を大切に

母がもう一つ大切にしてきたこととして、エッセイのなかでも使った「自己治癒力」という言葉があります。これは、たとえ傷ついたとしても、それを自分で癒せる心の力のことを指しています。私が仕事でも学校生活でも壁にぶち当たっていた中学生のある日のこと、母が「お母さん今までちょっと間違えていたかもしれない」と言い出しました。

「あなたに『他人の心に寄り添い、他人の気持ちを理解しなさい』と語りかけてきたけれど、あなたはそのためにとても繊細に育ってしまったように思う。これからは他人の気持ちを受け取った後の自分の傷をどうやったら癒せるのか、どうやったら前を向けるのか、どうやったら自分が楽しくなるのかっていう方向に思考を転換してください」と宣言されます。それを聞かされてまずは「え?お母さんは私の育て方を失敗だと思ったの?」と衝撃を受けました。(笑)

そうしたら母が「碧が間違ったんじゃない、母さんが間違った」と言ってくれました。「でも軌道修正できるから」とのフォローも。今思えば、間違いを認める母の言葉は、結局は母への信頼感を生んだところもあるかもしれません。多感な思春期に仕事と学校生活の中でクヨクヨと悩み、傷ついている娘のことを心配して、「優先順位を変えよう」と私に語りかけた気持ちがありがたかった。

『悠木碧のつくりかた』(著:悠木碧/中央公論新社)

母は私の話もよく聞いてくれる人です。そして私がやってみたいということは、私のプレゼン次第で、自由にやらせてくれました。でもそれが後々失敗に終わった時に、「こうなることわかっていたの?」と聞くと「わかっていたけれど、自分で選んで体験して欲しかった」と言われます。母を説得できたからといって、成功する選択肢とは限らないんだ…というのも私にとっては学びの機会でした。

母のことを書きたいと母に相談した時は、「絶対いや!」と最初は反対されました。世間でいう“陽キャ”の母なのですが、表に出たりするのは苦手なタイプ。でも「母さんの子育てが成功だったって言われるかもしれないよ、それってすごくない?!」と必死の説得をしたところ、渋々OKしてくれました。

彼女はみんなの前に立ってしゃべったりだとか、私のやらせていただいているお仕事の数々が彼女にとっては苦手なことばかりで、性質的には正反対の属性なのです。多分、今日のようなインタビューの席に連れ出しても猫をかぶってしまうでしょう。私の、多くの人の前でもやりたいことであれば大胆になってしまう気質、突如清水の舞台から飛び降りる勇気は父譲りです。