母による「悠木碧のつくりかた」

エッセイには、家族との関係、特に母による「悠木碧のつくりかた」にページが割いてあります(笑)。母は「自己肯定感を高く保つことが人生で一番大事」という指針を持って子育てしてくれた人。

私のキャリアは、私が架空の友達一人一人を演じ分ける姿を見て、祖母が「この子は芸能の仕事ができる」と断じたところから始まりました。早速、母に連れられて子役のオーディションを受けに行ったのです。

そのオーディションには落ちたものの、その時見に来ていた子役事務所の方に拾われて、子役としての道を歩み始めました。父も、専業主婦だった母も、送迎からお稽古からさまざまにサポートして応援してくれました。それでいて、迫られる選択をいつも私に託してくれたのが母です。「いつ辞めてもいい」そう言われていたからこそ、辞める選択は浮かばなかった。本当に辞めると言ったら両親に惜しむ気持ちがあることを子どもながらに十二分に感じとっていたことも大きいです。

私が幼かった頃から母は「AでもBでもどちらを選んでもいいよ」と言ってくれました。そして同時に「AでもBでもない第3の選択肢Cでもいいんだよ」と言い聞かせてくれます。ところが一筋縄ではいかなくて、実はAやBは母の希望通りであって、私にとっては第3の選択肢が最も欲する道だったりする。それを当初、母は隠しているのです。私が面倒がらずに第3の選択肢を見つけ出し、うまくプレゼンしないと私の最適解にはたどり着かないように仕組まれていました(笑)。母は私が自分の頭で考えるようにうまく仕向けてきていたようです。

そんな母でしたが、とにかく私を“子ども”というより一人の人間と捉えて、腹を割って話してくれました。母はよく「自分も人間だから」という言い方をします。「母さんも人間だから、今日は何にもしたくない」。こんな風に言われると、手伝ってあげたくなったりする。そして「あなたも人間だからわがままを言っていいのよ」と私に言ってくれました。「人間だから」と言われると、なんだかハードルが下がる不思議。「人間にしてはずいぶんと頑張ったなぁ」とか、母と私、お互いの人間讃歌になっていくわけです。