家事を助けてくれる、ありがたいサービスやノウハウ。忙しい時には利用する人も多いだろう。その一方で、心のどこかでうしろめたさを感じてしまうという人も。罪悪感のもとを探ってみると、人それぞれ異なるようで──。幸子さん(仮名)を、「こうあるべき」の呪縛から解き放ったきっかけは、ある出来事でした。(取材・文=玉居子泰子)
トイレが少しでも汚れていたら、「自分のせい」
「家事を手抜きすることへの罪悪感は、呪いのようにずっとつきまとっています」というのは、水原幸子さん(仮名・55歳)だ。
夫と2人の息子のため、食事は出汁からとる。弁当も冷凍食品は使わない。トイレが少しでも汚れていようものなら、「自分のせい」と恥ずかしい気持ちに。衣類乾燥機を購入した時には便利さに感激したが、「お日様が出ているのに外干ししないなんて、地球環境に悪い」と別の罪の意識に苛まれた。
「いわゆる“丁寧な暮らし”に当てはまらないことが気になるのです。長男が幼稚園に通っていた頃は、ママ友の99%が専業主婦だったことも影響しているのかも。袋類などの手作りグッズもみなさん完璧で、必死で追いつこうとしていました」
幸子さんは出産後、仕事を減らしていたが、長男が小学校に入学したのを機に、またもとの量に増やした。
「私の母は嫁入りし、同居の姑に認めてもらおうと大変な思いで家事をしていました。そんな姿を見て育ち、女性でも経済力がほしいと感じていました」
始めてみると仕事はやりがいがあるし、視野も広がった。反面、「保育園に入れた次男は、長男ほど手をかけられずにいる」と思うようになる。幸子さん自身、母親の状況を反面教師にしつつも、どこかに「こうあるべき」という刷り込みがあったのかもしれない。実際、母親から「次男は保育園でかわいそう」と言われたこともあった。
「おかしな話ですが、次男が高校生になった今でも、何かあるとつい幼い時に手をかけてあげなかったから……と考えてしまうんです。その分、今何かしてあげたくなって、お弁当をやたらと豪華にしてしまったり」