ものごころついてから初めて人前で歌った歌が「りんご追分」。一番上の姉と同じ年の昭和の大スター美空ひばりは、歌手五木ひろしに大きな影響と思い出をもたらし、52歳の生涯を閉じた。美空ひばりとの交流をたどるとき、五木ひろしの脳裏に浮かぶのは…。(構成◎吉田明美)

前回はこちら

本当に頭のいい人

ひばりさんのご自宅には何度お邪魔したかわかりません。電話がかかってきて、「来れたら来て」と…。公演のあと、駆けつけたことは何度もあります。僕はお酒を飲まないのに、よく誘われましたね。

応接間じゃなくて、奥の和室に通されるのですが、そこにはご両親や弟さんたちの遺影がかかっていて、大きな仏壇があり、その前でひばりさんがブランデーグラスをゆったりと傾けるんです。

そこでいろんな話をしましたよ。ひばりさんという人は本当に頭のいい人で、政治、経済、芸能、文化、どんな分野の話でも詳しかった。小学生のときにデビューしたので、学校にはろくに通えなかったと思いますが、ちゃんと家庭教師などをつけてパーソナルな教育を受けていた。それでなきゃあれだけの英語の歌なんか歌えませんよね。

素の加藤和枝という女性は思いやりにあふれた、人を見る目も鋭い、とても魅力的な人物でした。驚いたのは、昭和天皇のお具合がよくなくて、僕も結婚式を自粛していたころ、ひばりさんがなにげなく「天皇陛下の病気平癒を願って皇居に記帳しに行ってきた」とおっしゃったんですよ。ひばりさんはすでにご自身も体調は悪かったはず。それなのに、一般国民の長い列に並んで、加藤和枝と記帳してきたと聞いたときは、本当にひばりさんという人はすごい人だと感じました。当時、著名な人たちのためには、特別な記帳の場所が設けられていて、お付の人がついて記帳していたはずなのに、ひばりさんは「美空ひばり」としてでなく「加藤和枝」として心をこめて記帳してきたんですね。