「これで私も、いわゆる《老後》は安泰。言ってみれば、やっと死に場所を決められてひと安心、というところでしょうか」(撮影:大河内禎)
フェミニズム(女性学)研究の第一人者として、メディアで活躍してきた田嶋陽子さん。35歳から何度も引っ越しを繰り返した末、ついに終の棲家を見つけました(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)

これで私も老後は安泰?

2023年4月、都内にある介護付有料老人ホーム併設のシニアハウスに入居しました。現在は、軽井沢の家と行き来して生活しています。それまでも週の前半は軽井沢、後半は東京というような二拠点生活だったのですが、東京の事務所を手放して移りました。

シニアハウスへの引っ越しは、ちょうど82歳の誕生日を迎えた頃。きっかけは、ちょっとした偶然からでした。私は60代半ばからシャンソンを歌いはじめ、今も月に1度のペースで東京・四谷の「蟻ん子」で歌っています。

22年10月、千葉県市川市の「沙羅」でコンサートがあり、秘書と駅で待ち合わせたのに、場所を間違えたのか会えない。困って主催者に電話をしたら、共演するピアニストのさんが迎えに来てくれたのです。

コンサート終了後、お礼にお誘いした食事の席で、大美賀さんのお弟子さんの話になりました。お弟子さんは90歳。住まいのシニアハウスからシャンソンのレッスンに通っているとか。

「シニアハウスってどちらの?」と聞いたら、偶然にも、お世話になった津田塾大学の元学長が、99歳で亡くなるまで暮らしていたところで、私も何度かお見舞いに訪ねた施設でした。

その瞬間、「そこを事務所代わりにしたらどうだろう?」とひらめいたんです。私には、パートナーも子どももいないので、自分の始末は自分でつけなければなりません。

このシニアハウスなら、ケアが必要になったときは介護病棟に移ることができ、最期を看取ってもらえます。以前、女優の有馬稲子さんが、老人ホームから仕事に通っていると小耳にはさんだこともあって。

1週間後に見学に行き、パパッと決断しました。こうなると私は早いんです。事務所をすぐに売却。思ったより高く売れて、シニアハウスの入居金をまかなうことができ、トントン拍子で話が進んでいきました。

これで私も、いわゆる《老後》は安泰。言ってみれば、やっと死に場所を決められてひと安心、というところでしょうか。