日本人の色。イタリア人の色
この夏、3週間ほど日本に滞在していた夫が、朝のエスプレッソをすすりながら「日本人ってパステルカラーだよね」と意味不明な発言をした。早朝から原稿仕事で頭がいっぱいになっていた私には、夫が何を言わんとしているのかさっぱりわからなかった。「イタリア人は原色で具体的。真っ赤だったり真っ黄色だったり、イタリアのナショナルカラーだって子供用の絵の具のような真っ青だろ?」「で、日本人はパステルカラー」「そう。だから、イタリア人と接触しているときより、ぜんぜん疲れない」
イタリア人と日本人を色彩に置き換えた考察はなかなか興味深い。実はその数日前、脳科学者の中野信子さんとの対談があり、セロトニンという脳内物質が話題に出たのだが、それと夫の言うパステルカラーがどうもどこかで結びつくような気がして、私は仕事を一旦中断した。
夫が言うように、確かに私の周りのイタリア人たちを色彩にたとえてみると、皆だいたいはっきりとした原色になる。少なくて12色、多くても24色。それぞれレモン色や黄緑という明暗の差異を加えることまではできても、日本固有の、たとえば萌葱(もえぎ)色や茄子紺などといった、絶妙な中間色やパステルカラーと置き換えられるイメージはない。たとえばうちの姑で私が思い浮かべる色は真っ黄色である。
では、そんな原色の人たちから感じてしまう疲労感とはどういうことか。要は原色の人たちは喜びや悲しみといった感情、そして欲望の表れ方が日本の人より豪快で大胆な分だけ、落胆や不満、そして怒りの表れ方も激しく、強烈なものになる、ということだ。「日本の人も胸のなかではいろんな思惑があるのだろうけど、表に大げさに出さないから、こっちの精神的負担も少ない」と夫。
先述したセロトニンは別名“幸せホルモン”と言われ、多く分泌されるほどリラックス効果をもたらす。そのセロトニンをまんべんなく有効活用してくれるセロトニン・トランスポーターというタンパク質が多ければ、人はよりいっそう楽観的になれる。ところが日本人には、この「心配回避機能」を持ったタンパク質を“減少”させる遺伝子がほかの人種に比べてことさら多いというのだ。
夫が日本の人に感じたパステルカラーは、心を穏やかにする優しさの効果もあるわけで、それは多分、ただでさえ不安に陥りやすい自らの性質を踏まえたうえで、日本の社会が積極的に生み出している必然的色味ともいえる。
不安に陥りやすく、社会の空気に慎重な日本の人の基本色がパステルカラーなのだとすると、激しい不安を抱えてもすぐにリペアできるタンパク質の多いイタリアの人のイメージが原色だというのは納得がいく。姑が夫婦喧嘩の勢いで皿を割ってスッキリしていることにも説明がつく。そして、そんな人たちをそばで見ているほうは確かに疲弊する。
どっちが良いとか悪いとかいう問題ではない。どちらもそれぞれの社会に適応するために身につけてきた色彩だ。ただ、夫は精神的疲労の少ないパステルカラーに名残惜しさを感じながら帰国の途についた。「君は日本人だけど、それほどパステルカラーじゃないよね」と言い残すことだけは忘れずに。