祖母の実家にて、笑顔でツーショット (写真提供◎青木さん 以下すべて)

 

お笑いの仕事だけでなく、女優・エッセイストとしても忙しい毎日を送る青木さん。今回は「田舎の祖母宅のことを思う人として」を綴ります。

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思い出深い祖母の家

わたしには、固定資産税を払っている家が2軒あり、一つは都内の自宅マンション。もう一つは、地元愛知県で祖母が一人暮らししている庭付き戸建て(滞納気味)。

母が亡くなった時、わたしが祖母宅を相続した。祖母が亡くなった場合、いよいよその家どうするの?と考えなくてはならない、思い出深い祖母宅である。

昭和40年代後半、両親が建売で購入した一軒家から徒歩15分の場所に、祖母宅はあった。(祖父が建てたのだが、何故だか、おばあちゃんち、と呼ぶものですね)
両親は共働きだった為、小学生の時は学校から自宅を通り越し祖母宅へ帰り、夕飯を食べ、暗くなった頃に迎えにくる母を待った。

当時、同じ学校のイケてる友達の家に行くと、クッキーを家で焼く!とか、ココアが出てくる!とか、ピザが宅配で!とか、嘘だろう…ドラえもんのスネ夫家の世界かよ!みたいな驚きと興奮があった。一方で、祖母宅では全くそんなものはなくて、洋食すらなくて、壺の中の梅干しと、タッパーの漬物と、豆腐と小松菜の味噌汁と(祖母は小松菜信者)、甘くてベタベタした小魚が固まって取れにくいやつと、まあ大体がそんな感じで、子どもだったわたしのテンションを上げてくれるものではなかった。