笠置シヅ子「あれくらい立派な藝術家は、ほかの方には、悪いけれど、ちょっとないと思います」(写真提供:Photo AC)
023年下半期(7月~12月)に配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年11月14日)

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NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「ステージのためにすべてのエネルギーを注いでいた大先輩・飛鳥明子を、静子は憧れの眼差しで仰ぎ見ていた」そうで――。

大先輩 飛鳥明子

1933(昭和8)年、東西の松竹少女歌劇の女の子たちが、待遇改善のために立ち上がった「桃色争議」で、三笠静子も仲間たちと一緒に高野山に立てこもった。

その争議団長となったのが、楽劇部のトップスターでバレリーナの飛鳥明子だった。飛鳥は「桃色争議」の引責で退団することとなった。

1927(昭和2)年に、大阪松竹座に、なんの伝もないまま飛び込んで、楽劇部の研究生となった静子にとって、飛鳥明子は特別な存在だった。

飛鳥明子は、1907(明治40)年、開業医の娘として生まれ、高等女学校を卒業後、松竹楽劇部に入団。クラシックバレエの名手として、大輪の花を咲かせた。関西クラシックバレエの草分けであり、伝説のプリマドンナである。