国士舘大学大学院客員教授・八幡和郎先生は、「近代日本において、全国のどこで生まれても地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは国力の源泉となってきた」と語っています。当連載では、そんな八幡先生の著書『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』から一部を抜粋し、全国の名門高校をご紹介していきます。今回取り上げるのは「西高校」です。
西高校 都立/共学/東京都杉並区宮前
東京西部を代表する都立のナンバーツー
都立高校の全盛期に、日比谷高校のライバルといわれたのが、杉並区の西高校だ。昭和12年(1937)に東京府立第十中学校として開校し、2年後、現在地に移転した。最寄り駅は、京王電鉄井の頭線の久我山駅である。駅から15分ほどかかるという立地がやや嫌われているという指摘もある。
昭和25年(1950)に都立西高等学校と改称し、男女共学を開始したが、23区の西端にあることから「西方浄土」にちなんだというやや安易なネーミングだった。
昭和42年(1967)の学校群制度(2~3校が一つの群となり、群ごとに合格者が選抜される制度)導入以前の制度では、杉並・練馬・中野区というインテリ層が多い新興住宅地を通学区とし、進学校として順調に発展した。都心の学校に比べて権威主義とか上昇志向に縛られずおおらかな校風だったようだ。
のちの学校群制度のもとでは、日比谷高校、九段高校(千代田区)、三田高校(港区)という3校と組み合わされたのに対し、西高校は女子難関校として知られていた富士高校のみの学校群だったので、人気の凋落は相対的には軽度で済んだ。
そののち、昭和55年(1980)のグループ合同選抜制度の導入などで制度の軌道修正が図られたが、本格的な都立高校の復権は、平成13年(2001)に日比谷高校・戸山高校・八王子東高校(のちに国立・青山・立川の各校を追加)とともに進学指導重点校に指定され、平成15年(2003)に学区制が廃止されてからである。
