(写真提供:Photo AC)
国士舘大学大学院客員教授・八幡和郎先生は、「近代日本において、全国のどこで生まれても地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは国力の源泉となってきた」と語っています。当連載では、そんな八幡先生の著書『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで』から一部を抜粋し、全国の名門高校をご紹介していきます。今回取り上げるのは「戸山高校」です。

戸山高校 都立/共学/東京都新宿区戸山

日比谷に、追いつき追い越せのスパルタ教育の歴史

戦前の東京都では、旧制中学はすべてナンバースクールになっていた。その数は23校で、昭和21年(1946)に設立予定だった二四中は、開校を迎えることなく九中に吸収された。

戸山高校は、明治21年(1888)、飯田橋に補充中学校として設立され、いったん私立となったが、東京府城北尋常中学校を経て明治34年(1901)に東京府立第四中学校(四中)となった。高田馬場駅に近く、早稲田大学理工学部と明治通りをはさんで向かい側にある。

深井鑑一郎が40年にわたって校長をつとめ、スパルタ教育で、一中(日比谷高校)を追い越すことをめざした。校則も極端に厳しく中退者も多かった。

陸軍軍人の子弟が多かったのは、陸軍関係の施設が付近に多かったためである。いまも2年次にはフランス語・ドイツ語を選択できる。学校群制度(※)が成立したのちの昭和50年(1975)でも、東大合格者数において、日比谷高校が16名だったのに対し、戸山高校は46名で健闘していた。その後、一桁の時代がつづいたが、2010年ごろからは二桁の年も多い。2025年度入試では、東大9名、京都大3名のほか、東京科学大に21名の合格者を出している。難関私大の早稲田大には107名が合格。慶應義塾大に44名のほか、東京理科大に147名。明治大学に125名が合格している。

主な卒業生は、東條英機(首相)、磯村尚徳(NHKキャスター)、木村秀政(航空技師)、島秀雄(鉄道技術者。新幹線の生みの親)、川嶋辰彦(経済学者。文仁親王妃紀子の父)、浜四津敏子(参議院議員)など。

※2~3校が一つの群となり、群ごとに合格者が選抜される制度