実況で思わず「遠い人におなりにならないで……」
昭和33年に当時の皇太子殿下とのご婚約が発表になったときの、美智子さまの最初の印象は、本当に数少ない「東京のお嬢さん」。たとえばお妃教育のため宮中へ通われるのにお召しになっていた、タフタのワンピースね。グレーや薄い水色など落ちついた色で、飾り気のないシンプルなデザインは、「東京のお嬢さん」の“よそゆき”スタイルそのもの!
寒い日にごく小ぶりのミンクのストールを巻いていらっしゃるのも、清楚で素敵でしたね。私も父(ユーモア作家の中村正常さん)から、「若い娘が豪華な毛皮なんか身につけるもんじゃない」と言われて育ったため、そのさりげなさに共感したのを印象深く覚えています。
私とはお育ちになった環境が違いますけれど、少女のころに愛読していた雑誌や憧れのファッションはたぶん一緒だったのでは、と思うのです。あの当時、日本の少女はみんな『ひまわり』や『それいゆ』に夢中。編集長の中原淳一さんは、美しさと賢さをそなえた小さな淑女(レディ)を理想としていましたから、おしゃれにはじまり、きれいな言葉づかいや、写真を撮られるときのポーズ、エチケットのことまで詳しく載っていました。私は断然、ハイカラな『ひまわり』派。美智子さまのファッションにもそれに通じるものを感じていました。
昭和34年4月10日のご成婚パレードで、私と夫(作曲家の神津善行さん)はNHKの生中継で実況を担当させていただきました。なぜ私たちが選ばれたのか、当時の関係者はみな鬼籍に入ってしまったのでさだかではないのですが(笑)。夫は当時の皇太子殿下と1歳違い、2年前に結婚したばかりということで、お声がかかったのかもしれませんね。
私たちは信濃町の慶應病院のあたりに設けられた撮影用の大きな櫓で、お二人の乗った馬車を待ち受けていました。そこへ小豆色の馬車が。輝くティアラをつけ、純白のドレスに身を包んだ美智子さまは、まさに高貴なプリンセス。
それまで「東京のお嬢さん」と勝手に親近感を抱いていたためか、私は実況で思わず「馬車は遠ざかっていきますが、どうぞ美智子さま、あまり私たち国民から遠い人におなりにならないでください」と口走ってしまったのです。大胆なことを言ってしまったものですが、なぜかおとがめなし(笑)。
その34年後に浩宮(現皇太子)殿下と雅子さまのご成婚パレードの実況も、私と神津で担当させていただいたのは本当に光栄なことでした。