イメージ(写真提供:写真AC)
新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が解除された。経済活動の緩やかな再開に安堵しつつも、第二波の発生に警戒が必要となる。人類の歴史は、感染症との闘いの歴史だった。21世紀に襲来したこの新型コロナは、世界の文明を、そして日本をどう変えるのか?本日発売の『中央公論』2020年7月号の特集「コロナ・文明・日本」から、ドイツ・ベルリン在住の作家・多和田葉子さんの論考を配信する。迅速な対応が日本でも話題となったメルケル首相だが、現地ではどう受け止められているのかーー

ドイツと文化、そしてベルリンの魅力

「ベルリンは貧しいがセクシーだ」というのはヴォーヴェライト前市長の言葉。ドイツの首都でありながらベルリンにはダイムラーやジーメンスなどの大企業の本社はない。フランクフルトのような大手銀行の本社や高層ビルもない。

そのかわりいつもなら世界中から演奏家、劇団、舞踏家、画家などが集まってきて、毎日恐ろしくたくさんの催し物がある。主催者は町や国から経済援助をもらって、出演者に少なからぬ謝礼を払う。パンデミックのせいですべてのイベントが中止になると大きな不安が広がった。謝礼で生活していた芸術家たちは収入がなくなり、このままだと路頭に迷ってしまう。

メルケル政権はとにかく反応が早い。2011年に福島で原発事故が起こった時もすぐにドイツ脱原発方針を打ち出した。2015年に難民が押し寄せてきた時にはすぐに、難民を受け入れようと提言した。2017年6月末、ベルリンのゴーリキー劇場で行われた公開イベントではゲイの男性から「ドイツは一体いつになったら同性との結婚が許されるのか」という質問を受けると、メルケル首相は次の国会にかけることを約束し、同年の夏休み前には多数決で同性結婚の合法化が決まった。

首相は保守党の党首(2018年に辞任)であり、党内には反対の声も強かったが、彼女は自分の党の意見よりも国民の声に耳を傾けてくれる。そんな印象をここ10年ほどの間、多くの人たちに与え続けている。

民主主義は目に見えないし、手で触ってみることも匂いを嗅いでみることもできない危ういシロモノなので、「自分の声が政治に反映された!」と国民が実感できる瞬間の積み重ねが大切だ。ジャズと同じで、首相即興のソロを聞かせるタイミングが決め手なのかもしれない。

今回のコロナ危機も同じで、ドイツ政府はまず芸術家、小売店、零細企業など経済的弱者への援助を発表した。と言っても、弱い者へのお情けではない。文化が衰えれば、他人の不幸な境遇を自分のことのように感じる想像力が衰え、弱肉強食剥き出しの社会になってしまう。

歴史との繋がりが見えなくなれば、自分が誰なのかが分からなくなる。みんなの不満不安を言葉や音や映像にできる人がいなくなり、上からの命令に従うだけの国民性ができてしまえば、私益をむさぼる以外に能のない輩が権力を得て、良心的な人たちは奴隷のように働かされることになる。そんな社会の到来を防ぐためには常に文化が元気である必要がある。誰だって自由で明るい社会で暮らしたいだろう。

ベルリンは夏になると毎年アメリカやヨーロッパ各国から旅行者が押しかけ、地区によっては道も歩けないほど混雑する。ウィーンのような観光スポットもなければ、ミラノのように買い物もできないのにこれだけ人が来るのは、現代文化の首都という評判のおかげだ。オペラ座や美術館ならドイツのどの町にもあるが、ベルリンにしかないような無数の小さな芸術空間が人を呼ぶのだ。