歴史の地層のような島の鉄道に乗りたくて
「サガレン」はサハリン/樺太の旧名です。もとは北方先住民族が暮らす島でしたが、近代になりロシアと日本がせめぎあい、何度も国境線が引き直されました。戦後は1990年代の初めまで、一般の日本人の渡航は禁止されていて、今もビザが必要です。
そのためか、北海道から飛行機で約1時間という近さながら情報が限られていて、サハリンに関することはあまり広く知られていません。私自身、近代史に関する本を書いてきたものの、空白のように見落としていたな、と気になっていました。それで、出版社から書きたいテーマを尋ねられ、「サハリンで鉄道に乗ってみたい」と答えたのが本書の始まりです。冬と夏の2回にわたって旅をしながら、歴史や、かつてこの地を旅した文学者についてなど、自由に筆を走らせました。
1回目の取材では、とにかく鉄道を楽しみました。もともと私は鉄道ファンで、国内では廃線を60ヵ所ほど回り、『廃線紀行』という本も書いています。鉄道だけでなく、工場や橋など、いわゆる「近代化遺産萌え」なのです。物としての存在感と、人が手をかけて長年保たれてきた建造物に惹かれるのですが、サハリンにはそうした遺構が多くある。
日本統治時代には道路や鉄道、工場などさまざまなインフラが整備されました。たとえばソ連領だった北部の郊外には、1920年代に日本が建設した石油タンクも残っています。なぜこんなところにと不思議に思い、帰国してから調べると、「保障占領」という名目で石油の出るところを日本が押さえていたとわかりました。見ているものの意味がわからず、帰ってから調べるといろいろなことが明らかになる。旅にはそんな面白さもあります。
帝政ロシア時代は流刑地として知られていました。劇作家チェーホフは『サハリン島』という詳細なルポルタージュで囚人たちの様子を紹介しています。地獄のように悲惨な島として描かれているのですが、実際サハリンに来てみたら、銅像が立っていたり、その名を冠した劇場や村があったりと、島を挙げてチェーホフ推しだったのには驚きました。
その30年ほど後にチェーホフと同じルートを旅したのが宮沢賢治。『銀河鉄道の夜』は岩手軽便鉄道と樺太の鉄道がモデルになっていると言われます。2回目の取材では賢治の旅の跡を辿ったのですが、実は私、さほど賢治が好きだったわけではないのです。企画段階ではサハリンの列車乗りたさに、その人気にあやかったところがあります。(笑)
でも詩集を手に実際に足を運んでみると、賢治がとても身近に感じられました。彼が旅をしたのは、最愛の妹トシの死の翌年でしたが、旅の最中に書かれた詩は、サハリンに足を踏み入れた前後で空気が一変する。重かった心が、移動にしたがってどのように動いていき、その風景に慰められたか。机上では理解できなかった部分が、初めて腑に落ちました。
とくに2回目の取材は賢治が行った季節と同じ夏だったので、詩に登場する植物が今も同じ場所に咲いているところまで見ることができました。空気が綺麗で空が本当に青く、自然も美しい。おそらく100年近く前に賢治が見た風景と、あまり変わっていないのではないかと思います。
本書を上梓した後、またサハリンへ行きました。不思議な吸引力がある島で、今後も繰り返し訪ねることになりそうです。