夢の外側16

  夢の彼女(承前)

 映画『明日の世界」を観てダイスケのエッセイも読んだという谷元(たにもと)さんと大哉(だいや)に、店主おすすめの白ワインを飲みつつ、駒子(こまこ)はどちらも母とはかなり違う設定と人物像でフィクションだと念押しした。母が家族の事情で長時間かつ重労働の仕事をしていたこと、仕事にやりがいは持っていてのちにフラワーアレンジメントの教室を開いたこと、父は母が好きだったし自分の仕事に満足していなかったのもあって家事はやっていたが「当時の男性としては」と注釈をつける程度で、駒子自身も家事や店の手伝いは相当やっていたこと、しかし母には仕事や借金の重圧が大きかったせいか精神的に不安定なところがありたびたび理不尽な叱責があったことなどを、順を追って話した。
 前に大哉と話したときには自分の中でも混乱が大きかったが、その後千景(ちかげ)と話したり、家族関係の本や記事を読んだりしていくなかで、少しずつ整理されてきたのだろう、と、淡々と話しながら駒子は思った。
 駒子と千景からあれこれつっこまれた前回より、大哉のほうも気持ちの余裕が生まれているのか、駒子の家族の状況に理解があるふうな口ぶりで話した。
「うちの母親の当時の姿を思い出すと、確かに女性が働いて、しかも店を切り盛りして借金の返済をするっていうのは、相当きつかっただろうね。だからって子供に八つ当たりすることが正当化されるわけではないけど、その心情を想像することはできるというか」
 やっぱり企画会議か営業っぽいしゃべり方だなあ、と駒子は思う。部下が同席しているので落ち着いた態度を見せたいのかもしれなかった。
 白いクロスが敷かれたテーブルには、トリッパの煮込みを食べ終えた皿が下げられ、ウニのクリームソースパスタが置かれた。プロデューサーの上司のお気に入りだったからといつも食べるおすすめメニューらしく、駒子や谷元さんがおいしいという度に、大哉は満足げな表情になった。
 駒子が話すのを大きく頷いて聞いていた谷元さんが言った。
「自分ごとでお話しすると、私は両親ともに中学校の教員なんですね。同じ職業でも母のほうが、それこそ女性ならではの難しさがあったからか、私に対して『こうあるべき』『進路はこれが最善だ』みたいなアドバイスという名の押しつけが強くて。私も中高生の頃は母とぶつかってばっかりだったんですよ。でも、教員は産休などの制度は整ってる職場ではあるので、お話をうかがってると個人で経営をされてる大変さってまた全然違うんだって、今さらながら感じました。映画やエッセイではお花屋さんの看板娘っていうか、いかにも男性が夢見るようなふんわりした現実感のない女の子に描かれてましたけど、ほんとうの原田さんのお母さまは、きっとすごく芯が強い方だったと思うんですね」
 谷元さんは明晰な話し方から、きっと職場でも優秀なのだろう、と駒子は思う。
「芯が強いかどうかはわからないですけど、人の印象としては強い、とは思います。強いというか、濃いというか」
「アーティスティックな才能を持ったミュージシャンがエッセイに書いて、さらにその文章から映画が生まれるくらい、印象に残る方だったんですもんね。もちろん、エッセイや映画はお母さまと出会った彼らや男性たちのある種の願望みたいなものというのは、理解しています。正直、その時代の映画やドラマを観てると、女性の描き方にうんざりすることが多いですから」
 谷元さんの言葉に、大哉は苦笑している。
「だからこそ、原田さんから娘の視点で見てお母さまが実際にどんな方だったのか、お話をうかがいたいって思ったんです。お母さまだけではなく、そのお仕事や子育てを支えていたお父さまの姿も。実は、このドラマの次にも、家族関係を描いた作品の準備をしていて」
 谷元さんは、家族には社会や人間関係の問題が凝縮されている、だからこそドラマで描けることはまだまだある、と熱意を持って話した。
「原田さんもお母さまとの関係は難しいことがたくさんあったと思うんですが、個人的なことにとどまらないで、いろんな方に届く複雑さを内包しているんじゃないでしょうか。なんか、僭越な言い方になってしまってすみません」
「母のことは、兄や親戚や、母を直接知ってる人とは話ができるんですよね。程度の差はあれ、母が難しい人だっていうのは一致してると思うし、人によって態度を変えるタイプではなかったから。……今は、父のほうが、どんな人だったのかよくわからなくて。その『わからなさ』は、父のことを知っている人には、母や兄にさえも、話しても通じない気がする」
 今日は母のことは整理して話せたと思ったが、今度は父のことで言い淀んでしまう。谷元さんが言ったように、個人的なことにとどまらず似た困難さを抱える誰かにこの「わからなさ」が通じないだろうか、届かないだろうか、とどこかで願っているから、それほど親しかったわけでもない大哉の取材に応じたのだと、今は考えている。だけど、考えて、話して、また考えても、またその先に「わからなさ」が現れてくるのだ。
 大哉は、駒子の表情をうかがいつつ、慎重に話した。
「うちもそうだけど、家族の話をしていて母親ってたいていエピソードが多くて印象が強いんだけど、父親はひたすら影が薄いよね」
「うーん、そういうのともまた違うんだよね。なんというか、母が不安定だったのは確かだけど、その状態が続いていたのは父がなだめ役みたいになってたからなんじゃないかなって、このところ考えていて。母のあまりに強い印象が目立ってしまってるけど、父がフォローすることがわかってるから母はある意味で存分に不安定になることができたんじゃないか、って」
「存分に不安定になる? どういうこと?」
 フォークとスプーンを正しい姿勢で握ったまま、大哉が聞いた。
「母が、父の期待に応えてたんじゃないか、と」
 駒子が言うと、谷元さんは目を見開いた。
「わざとやってたということですか?」
「わざと、って言葉にしちゃうと強すぎるかな。たぶん、母としては無意識のうちにそうなっていったのかも。私自身が整理できてないから、伝えるのが難しいですよね……。小松原くんや谷元さんに今整理して話してるのよりは、もっと複雑だし、二十年も三十年も前のことを思い出して考えることの限界もあるし。
 母は私に対して行動が目につくと急に怒ったり怒鳴ったりしたんだけど、たとえば私の進学先とか就職どうするかとか誰と友達だったりつき合ったりってことには関心がないというか、私の自由にできてたなと。相談することができない代わりに、気楽でもあって。私の行動や服装に対して細かく注意してきたのは父のほうなんだよね。就職活動の時期に旅行やホテル業界を志望してたんだけど、駒子は真面目な性格で不特定多数の人と接するタイプの仕事は向いてないからやめなさいとか、決めつけるようなことを言ってきたり」
「娘に対して過度に心配性、的な」
「いや、そういうのではない。どっちかっていうと大哉のところと似てるんじゃない? 子供が自分の希望の通りになるはずだと思い込んでた……」
「ああ、なるほど」
 就職に関して、駒子は母にも父にも一言も相談しなかった。それなのに、駒子が鞄に入れていた資料を父が勝手に見て、突然一方的に口出ししてきた。
そうだった、鞄を勝手に探られたのだった。もちろん駒子は怒ったし、それからは父が触れるところに鞄を置きっぱなしにしないように気をつけ、いっそう自分のことは話さないようにした。娘のことが心配なのは当たり前じゃない、と真莉(まり)は駒子が神経質すぎると笑った。しばらくして家を訪ねてきて真莉と和彦(かずひこ)から話を聞いた伯母たちも、和彦は子供を思う気持ちが強すぎるのね、駒子ちゃんは遅い反抗期なのよ、と笑っていた。
少し前から花屋にある荷物の処分のことで何度か連絡を取っている上の伯母は、先週の電話でも和彦は駒子ちゃんとあんなに仲がよかったんだから荷物は駒子ちゃんが引き取れないのかとしつこく言った。母も伯母も、死んだ人の物を捨ててしまう責任を負いたくないようだった。それは駒子も同じだった。駒子は、父が亡くなる前の数年は父と連絡を取ることはほとんどなかったし、父はその頃の駒子の勤め先も気に入らなかったようだと母づてに聞かされるような状態だった。そんな自分が父の荷物に対して判断をすることはできない、と伝えた。しかし伯母は、やっぱり男親だから照れくさかったんじゃないの、なんだかんだ言って和彦は駒子ちゃんのことをかわいがってたからねえ、と懐かしそうに笑いながら話していた。
いつもそうだった。母にも父にも、祖母にも周りの大人にも、自分の状況を抗議するたびにいつも笑われて、流されてきた……。
 ついいろんなことが連想式に思い出され言葉が出てこなかった。黙っている駒子に気を遣ってか、谷元さんが聞いた。
「原田さんは、お父さまのことは好きだったんですか?」
 谷元さんの目はまっすぐ駒子を見ており、この件について真摯に考えているのだと態度で示そうとしている、と駒子には感じられた。だからといって、理解しているのではないこともわかった。
「家族に対して、好きとか嫌いとか、考えたことないです。家族なんて、好きとか嫌いとか考える対象じゃなくないですか?」
 駒子は、この店で話しはじめてからいちばんはっきりした声で言った。それは子供のころから何度も人に問われ、その度に考えてきたことだった。母のことも父のことも、好きとか嫌いとか、愛されてるとか愛されてないとか、そんな問題じゃない。
「その日その日を、どうやり過ごすのかだけで精一杯で」
 自分が発した声に、なんか聞いたことある気がする、と思った。それから、そうだ、千景さんが似たようなことを言っていた、と思い出した。一九九九年に世界が滅亡するかどうかなんてことよりも、今日の生活のほうが切羽詰まっていた、と。
 そのあと千景が言っていた言葉も、駒子は思い出した。
〈そんな長いあいだ、よう生きてきたな、って思う。私は、ずっと、自分が生きてることが間違ってるって思ってて、生きててもいいかわからんかったけど、なんか、生きれてしまうもんなんやな。〉
そう。私も、たぶんそう思っていた。千景さんに、そう言えばよかった。
「家族って、愛憎入り交じっているものですよね。ほんとうに複雑」
 谷元さんが溜息交じりに言った。
「なにか、デザート頼む? ここのイチオシはカッサータで」
 大哉は壁に掛かった小さな黒板を見上げた。大哉はこの店ではいつもカッサータを食べ、それ以外のデザートの選択肢を考えたことはないのだろう、と駒子は思った。


 連休の後半に、再び千景の部屋で映画鑑賞会を開いた。
 衣里(えり)は二泊三日の韓国旅行から戻ったばかりで、お土産として持って来たバターサンドはごはんの後に食べることにした。
 昼ごはんは、千景が作った鯛めしに駒子が駅近くの店で買ってきた惣菜を並べた。テレビ画面に配信サイトから千景がこの二、三か月の間に観た映画の中から選んだ「印象的な女性キャラクター」の特徴的なシーンを映して、三人で好き勝手なコメントをする。
 最初は、以前にも千景が観たと話していた八〇年代のアイドル主演の映画だった。夢見がちで純真な女子高校生と、早くに夫を亡くして娘を支えるやさしくて理解ある母親が、毎年娘の誕生日に誰かから届く花束を受け取る場面だった。
 この映画がデビュー作であるアイドルは、セリフも棒読みで演技もわざとらしかったが、この素人っぽさ、垢抜けなさがいいんだろうねー、と駒子が言い、一生懸命感がかわいいよね、と衣里が言った。
 その次は、同じころに公開された、影のある不良少女が、孤独な中年男と同年代のバイク好きの少年を翻弄する、とあらすじに書かれている映画だった。中年男が運転する車の助手席から少女が突然ハンドルを動かして事故を起こす場面を流しながら、二人の男を翻弄するって書いてあるけどこのおっさんは家出中の少女が行き場がないことを利用してるだけやし、少年のほうはやたらおれの女みたいに言う割に助けには来えへんし、ひどい話やで、と千景は言った。
さらにいくつか、日本の映画も外国の映画も観つつ、千景が話した。
「よく言われることやけどさ、女の人のキャラクターはまず、母、恋愛対象、娘、に分けられるよね。恋愛対象、というか性的に魅力のある存在って言うとこうか、ちょっとマイルドに。そのほとんどは若い女やけど、まずは清純無垢な少女」
「無垢って、無知の言い換えだよね。ナイーブって、日本ではいいイメージで使われるけど英語では否定的なニュアンスだって知ったときに、そう思った」
「わかるー。清純無垢な女性キャラは、絶対自分の性的な魅力に気づいてたらだめっていう話を読んだことある。私はなにも知りません、って顔してないといけない」
 衣里の話に頷いた千景は、誘惑してくる悪女タイプや、母性ですべてを許容してくれるタイプなどいくつか説明したあと、
「そういうのの要素の都合がいいところを取ってきて成り立ってるのが恋愛対象やら性的魅力のある存在の女性キャラやなーと。見た目は清純で無垢な少女やけど、心は母、みたいな」
「都合よすぎ! でもあるあるかも」
 と駒子と衣里は声を上げて笑った。
「言動が不安定な女性キャラは、誘惑する悪女と清純無垢な少女の両方の要素があるってことなのかも。マリアは、マイマイが言うには二股かけてた上に結局御曹司と結婚したひどい女だけど、『巫女』とか『天使』とか言われてたのは清純無垢の面だよね」
「そこで今日のメインテーマのマリア的な、言動が不安定な女性キャラの話になるわけやけど、時代的に流行があるのがわかってきて。七〇年代ぐらいまでは精神的に病んでるダウナー方向なんよね。今で言う精神的なトラウマを抱えてて心が壊れていく。話も暗い展開が多くて、そういう女の人は大体死ぬ、もしくは男がかっこいいセリフ言って死んでいく。
八〇年代くらいからは世の中全体がそうやけど不安定女子もアッパーになって、突飛な言動で男を戸惑わせる。『翔んでる女』って私が子供のころはそういえば雑誌の見出しとかで見かけたんやけど、元は仕事して自分の道を行く女の人にポジティブに使われてたらしいのが、私の薄ーい記憶では落ち着かないふわふわしてる女って意味になってたと思うんよね」
「バブル景気、って感じ?」
「バブルより前やけど、景気がいい時代のみんなハイになってた感じは反映されてるやろなあ。八〇年代後半になると、前に『明日の世界』観たときにも話したけどな、マリアを演じてたミーコみたいな、突然意味不明の言動して周りを困惑させるタイプが人気になるんよね。一時期『ぷっつん』って呼び方もあったりして」
 駒子はその呼び方が使われていたニュアンスになんとなく記憶があったが、衣里のほうは言葉は知ってるけど具体的なイメージは浮かばないと言った。
「その意味不明の突飛な言動が、だんだんマイルドになってきて、というか、フィクションやバラエティ番組でのお約束みたいになって『不思議ちゃん』になっていくんかなと」
「なるほどー」
「ていうか、千景さん、そのくらいの時代の映画観すぎじゃない? ちゃんと寝てる?」
「いや、ほんまに、仕事忙しいのに何してんのやろ、って自分でも思ったけど、なんか止められへんくて。自分が経験してきた時代でもあるし、いろいろ思い出して、そうやったんか! って思うことがありすぎて。男女どっちもやけど不安定なタイプの人とばっかりつき合う子がおったなあ、とか、彼氏も同年代やのについお母さんぽい役割をやってしまってたなあ、とか。
それに、出演してる女優さんたちのことも、当時とは違って見えるから。十九、二十歳なんかめちゃくちゃ子供に見えるし、奔放な女の子を演じてても求められる姿に必死に合わせようとしてるのが見て取れてちょっとつらくなったり……」
 千景の話を聞いていた衣里が、少し前に読んだというインタビュー記事の話を始めた。
十代前半で美少女モデルと騒がれ、テレビのバラエティ番組でまさに「不思議ちゃんキャラ」として人気になったが、当時は寝る時間もほとんどないほど仕事をしていてあまり記憶がなく、家族関係にも問題があって精神的に不安定になり、二十歳になるころに仕事から離れた。世間では失踪説や薬物使用説まで流れ、ほんとうにつらい時期だった。その後、信頼できる人と出会い、今は東京を離れて暮らしている、ということだった。
「彼女がね、わがままを言って突飛な言動をすればするほど、周りの大人たちがよろこぶから一生懸命やってた、って話してて。エピソードにだんだん尾ひれがついて、わがままで生意気な世間知らずの若い女ってイメージがどんどん広まってつらかったって……」
 衣里の話に大きく相槌を打ちながら聞いていた駒子は、一呼吸置いてから話した。
「私、彼女のことも『不思議ちゃん』て呼ばれるタイプの女の子も好きだったから、そのインタビュー読んで、苦しくなったというか申し訳ない気持ちになって……。自分の代わりに、できないことをやってくれてるみたいな憧れを感じてたんだよね」
「女子の不自由さを打ち破ってくれる存在やって感じてはいたよね。よく気がついて、なおかつでしゃばらずにその場にいる人の気分をよくするのが良い女の子、って圧が今よりもめっちゃ強かったからなあ」
「わきまえてる、ってやつだ。今も全然あるよー。表面的な形は違ってるかもしれないけど」
 語気を強めて言う衣里の横顔の輪郭を、駒子はじっと見た。自分よりもだいぶ若い世代にも形を変えつつ有形無形の圧みたいなものがあるのを想像せずにはいられなかった。
「テレビ番組でもマネージャーにもわがままな言動をしてた彼女も、空気を読んでそうしてたわけじゃん? 求められてる役割に応えてたわけだから、気が利いて人の気分をよくする女の子だったことには変わりないよね」
「そうやねん。そうなんやけど、気分をよくしてもらってる周りの人はそれに気がついてなかったんやん? 映画でそういうファム・ファタル系悪女や不思議ちゃんタイプの女の子キャラを描いたり好きやったりする男の人もさ、自分は女性に『わきまえ』なんて求めてない、自由な女の子が好きな、理解ある男なんや、って思ってるやん。その感じが、こうやってある時代の作品をまとめて観てるとわかりすぎてつらい……。男性だけの問題とちゃうけどさ」
「そうだねえ。そういう『自分は自由な女の子を理解してる』って男性の願望に乗っかっちゃってることもあったなー、って若いときのこといろいろ思い出して、うわあああ、ってなることある」
 頭を抱える仕草をした衣里に、駒子は言った。
「だけどそのときは、乗っかって演じてる、とは自分ではわからないじゃない? インタビューの彼女も、みんながよろこんでくれる、そこには自分の居場所がある、って必死だったと思うんだよね。十三歳や十四歳だったらそうしちゃうの当たり前だと思うし、もう少し大人になっててもちょっと時間が経って振り返って初めてわかることってある」
「それやし、願望自体も、願望に乗っかることも、全部が悪いわけちゃうと思うねんな。だって、誰でもあるやん、願望は。自分がこうなりたいっていうのもあるし、こんな人と恋愛したいとか、こんな人生を送りたいとか、何にでも願望があるからこそ行動できることがあるんやし」
 言葉を探しながら話す千景を、駒子と衣里は見つめた。
「今日映画観てても、願望、妄想はもうお腹いっぱいですってなるけど、映画でも漫画でもフィクションに願望とか妄想がないやつはないやん。誰かの夢やん」
 駒子は、黙って頷いた。
「ただ、思うのは、男側の夢ばっかり流通してたんやなってことかな。男側の夢が多過ぎで、女の夢がほとんどない」
「あー、そうかー。漫画は女側の夢もいっぱいあったね。私は、少年漫画誌も少女漫画誌もどっちもたくさん読んできたけど、確かにどっちも夢がいっぱいだ」
「それやのに、女の夢は『白馬の王子様』って笑われてたやん。少女漫画は一段下に見られがちやし」
「褒めてるつもりで『ただの少女漫画とは違う』とか『少女漫画を超えた』って言う人、まだまだ多いもんね」
 駒子が言うと、衣里も、そうそう、と同意した。 
「映画は作る側が圧倒的に男の人に偏ってるもんね。原作の小説や漫画が女性作家の作品でも、監督やプロデューサーはほぼ男性の時代が長かった。ここ数年でやっと女性の監督や製作者も増えてきたけど」
 衣里の話に頷きつつも、千景が言った。
「女性監督や女性のプロデューサーって、キャリアを女優からスタートしてる人多くない? 見た目がよくないとそこにも参入できへんのかー、ってつい考えてまう。やっかみもあるのはわかってるけど」
「それも十年ぐらいしたらだいぶ状況変わってるのかなあ。変わっててほしい」
 お互いの話に溜息をついたり、次々に再生される映画の都合がよすぎる展開に文句をつけたりしながら、三人は鯛めしと惣菜をたいらげ、バターサンドを食べるためにコーヒーとお茶を用意した。
 千景が次に再生した映画は、ここまで観た映画の中でいちばん新しく、十五年前に公開された作品だった。
 失業したり突然離婚を突きつけられたりと心に傷を抱えた人たちが郊外の古びたアパートに辿り着き、交流をするなかで人生を見つめなおすというのがおおまかなストーリーだった。アパートの大家は近所の人たちから魔女とも呼ばれる風変わりで気難しい年配の女性で、その孫である若い女性が管理人の役割をしている。人のそれまでの人生が音楽になって聞こえてくるという能力を持った孫を演じるのは、この少し前から注目されていた女優で、長い手足と猫のような目の印象が強い。大仰な表現ではなく、さりげない表情や身振りで感情や人との関係性を表すことができると評判になっていたのを、駒子も覚えていた。
「この人、すごくいいよね。このあとは全然出てないけど」
 衣里が言い、駒子も同意した。
「映画やテレビに出なくなった俳優や芸能人って、消えた、って言われるじゃない? ただ画面に現れなくなっただけなのに」
「せやんな。しかも、この画面に映ってるのって、仕事やん。仕事として何週間か何か月か、撮影しただけ」
 三人は、画面の中で川辺に佇む彼女を見つめた。映画の中では彼女はいつまでも二十一歳で、演じた彼女は今は三十六歳のはずだった。
「画面の外側で生きてる時間がちゃんとあって、画面の外側で生きてる時間のほうがその人の人生で、この世界にちゃんと存在してるのに」
 つぶやくように言った駒子を、千景と衣里が見た。
「願望は願望でいいけど、その外側で生きてる人生のほうを見ようとしない人が、ときどきいるんだと思う」
 自分の言葉を確かめるように話しながら、駒子は電話での伯母との会話を思い出していた。伯母が笑いながら話す父の話には、以前からひっかかることがよくあった。子供のころからずっとそうだったから、違和感を表明しても聞き入れてもらえないし、受け流す癖がついてしまっていたが、やはり妙なところがありすぎる。たぶん、それがなんなのかを確かめなければ、私は母と父が作り上げた歪な家の空気から抜け出せないままなのではないか。
 テレビ画面に映る古いモノクロの映画のラストシーン、精神的に不安定だった女が病気で死んだことを知って泣く男の姿を、駒子はぼんやりと観ながら、衣里の土産のバターサンドを食べた。 

                                   (つづく)