イラスト:山本祐布子
かれこれ30年、選挙が行われると投票所に足を運んで来たけれど、その後の速報番組を見ていて生じる違和感たるや──。女優の鈴木保奈美さんが『婦人公論』で連載しているエッセイ「獅子座、A型、丙午。」の単行本発売を記念して、収録作の一部を期間限定で配信します

つわものどもが夢の跡

選挙って、どうして「戦」って言うのだろう。あれは戦いだろうか? いや、戦いには違いないのかもしれないのだけれど。総選挙だ、ってなると途端に張り切って声を嗄らして頑張るぞ、えいえいおう、みたいな、岸和田だんじり祭にでかけるんじゃああるまいし。

国民の声を聞きたいと言われても、私もかれこれ30年、近所の小学校や図書館へこつこつと投票に足を運んでいるが、私の声を聞いてもらった気がしたことは、まだないぞ。しかし私は私の義務を果たさねばならぬ。台風の真っ只中、ゴム長靴を履いて清き一票を投じて来れば、結果が気になって速報番組を見る。

当選した候補者が、やった、勝ったと万歳している姿がちょっと不思議。いやいやここで喜んでる場合じゃあないんですよ。これからばしばし働いてもらわにゃあ困る。東大に受かったとかW杯で優勝したみたいな達成感、味わうところはここじゃないです。

それから候補者の名前が壁に貼り出してあって、当選すると赤いお花を付けていくの、あれも妙じゃあございませんか? なんかさ、勲章もらっていち抜けた、と笑ってるみたい。そしてお花の付いていない名前が寂しく残されて、なんだかダメな人たち、と烙印を押されたかのように見える。

落選した者が、当選した者よりもダメなわけじゃあない。ここんとこ間違えないようにしようと思う。戦の勝ち負けを、善悪とごっちゃにしてはいけない。戦い方が賢かったり、ちょうど良い武器を持っていたり、またはシンプルに力の強い方が勝つことになる。倫理的に正しいかどうかは別の話だ。必ず善が勝ち、悪が滅びるとは限らない。