[特集]
〈親子の不仲、 きょうだい格差〉
気の合わない家族は
あきらめていい
●注目記事●
家族を愛せなくても罪ではないし、
愛されなくても罰ではないのです
村山由佳
母が死んだら泣けるのだろうか、きっと冷淡な自分と向き合うことになるに違いない、というのは、長らく私の悩みの種でした。
亡くなるまでの1週間は、母が入所している介護施設近くの実家に滞在したので、食事の介助をしたり、カルピスを飲ませたりはできました。実際のところ、火葬場で最後のお別れをするときでさえ、さっぱり「いっといで」という感じ。「お母ちゃん、きれいなお顔だね。楽に逝けてよかったやん」と穏やかな心で見送りました。だからといって、「母を赦すことができました」ときれいな話にまとめる気には、到底なれませんけれど。
母は70代の半ばから少しずつ認知症が始まり、4年ほど前から介護施設に入所していました。それまで自宅で老老介護をしていた父は、2年前の4月3日に突然逝ってしまい、あのときはずいぶん泣いて悔やんだものです。いずれにせよ、これから春を迎えるたびに、私は自分にとって家族とは何だったのかを考えることになるのでしょう。
(一部抜粋)
他にも、玉袋筋太郎さんの「親父を死に追いやった姉夫婦を今も許せず、心はくすぶったまま」、EPOさんの「母の虐待に苦しめられた私が、幸せになっていいと気づくまで」、大日向雅美さん、水島広子さんが読者の悩みに答える「〈わかり合えなくて当然〉と考えてみませんか?」などが掲載されています!
[第二特集]
洗濯&掃除 梅雨の季節の
ラク家事テクニック
[読みもの]
●注目記事●
“自分のかけら”を
ちりばめる楽しさ
坂口健太郎
わが家は両親と姉の4人家族。昔から家族仲が良くて、とくに父親とは何でも話せる、会話の絶えない関係でした。それでも、中学から高校にかけては、両親とまったく喋らない時期もあって。いわゆる“反抗期”というやつですね。
髪の毛を染めたり、眉毛も剃ってみたりとか、ひと通りやった(笑)。あの頃は、世の中に対してなのか、自分に対してなのか、いつもピリピリ、イライラしていました。今思えばかわいいものですけど、親はどう思っていたんだろう。
10代の頃から映画を観るのは好きでしたけど、演技をしたいとか、俳優になりたいという気持ちはまったくなくて。ただ、「何かをやりたい」という気持ちはずっとありました。その何かがわからないから、中学、高校の6年間はずっとモヤモヤしたものを抱えていたのを覚えています。(一部抜粋)
〈今なお心に響くインタビュー再録〉
病気をしなければ、
大事なことを見失ったままだった
西城秀樹
一昨年の6月に脳梗塞で倒れてから1年半。まだ完全に本調子ではなく、闘いのさなかではありますが、よくぞここまで回復したものだと、感慨深いものがあります。言葉がうまく発せられない「構音障害」が残り、主治医には「完治まで2年かかる」と告げられた僕ですが、今も芸能活動を続けられているし、こうしてインタビューも受けている。
これは病に倒れて初めてわかったことなのですが、僕は非常に弱い人間だったんです。ドラマや映画では、ヒーローは必ず挫折から立ち直るじゃないですか。だけど情けないことに、“ヤングマン”と呼ばれた男には、這い上がる力さえなかった。自分はもう治らないんじゃないか、と思ってしまいました。もし、このまま歌が歌えなくなったら……と、崩れ落ちそうな気分で、一時は「このまま息を止めてしまえたら、どんなにラクだろう」という思いさえ、頭をよぎりました。
そんなとき、決まって妻と子の笑顔がフラッシュバックしてくるんです。家族を投げ出すわけにはいかない。歌うことは僕のすべてだ。でも、それにとらわれていていいのか。芸能界を引退して、ほかの人生を歩むという選択だってあるんじゃないか? と。けれど、この苦渋の選択にストップをかけてくれたのも、「結論を急がないで」という妻の言葉でした。(一部抜粋)
※「一周忌を終えた妻からのメッセージ」も掲載します
他にも、
〈バラエティにミュージカルに、ジャニーズ初を目指したい〉
会話がなくても通じるふたりは、
プライベートでも「王」と「侍女」
松崎祐介(ふぉ〜ゆ〜)×林 翔太(ジャニーズJr.)
〈亭主関白でも子は育つ〉
家庭でも仕事でも、
おいらにコンプライアンスはない!
古田新太
〈歳をとってボロボロになっても〉
女の心に潜む恋や欲望を
撮って撮られ続けたい
吉行和子×浜野佐知
などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!