イラスト:北住ユキ
そっと様子を窺ったり、励ましの言葉をかけたり。ふたたび立ち上がる日がくることを願うなか、わが家にも「8050問題」の影が忍び寄る──。井毛田良子さん(仮名・63歳)は3人の息子を持つ保育士。長男が小学校で受けたいじめをきっかけに不登校になり、高校を中退し仕事も続かず……。

つまずきの始まりは、いじめだった

20代後半で長男を出産するまで保育士として働き、保育の勉強もしていた私。子育ては楽勝だと思っていましたが、わが子ほどうまくいかないものはない。そう今は思います。

それぞれ2歳差で3人の息子がいますが、なかでも長男の子育ては、胸が締めつけられるような苦労ばかりでした。生まれたときから手のかかる子で、落ち着きがなく、どうしてこうなるんだろう、と育児書を読み漁る日々。

4歳のころから吃音が出始め、また、左耳の聞こえが悪いこともわかりました。私も右耳がほとんど聞こえず、それでもそれなりに生きてこられたので、気にする息子に「たいしたことではないよ」と言い聞かせて育てました。

小学生になると、サッカーをやりたいと言うのでスポーツ少年団に入れましたが、そこで同級生や上級生、コーチからいじめに遭います。無視されたり、ときには1対30で囲まれたりしたこともあったそうです。

6年生になって、私のほうが我慢できなくなり、最後の試合を控えた合宿のときに「もう行かなくていいよ」と辞めさせました。いまとなっては、この一言が長男の人生を大きくゆがめてしまったのではないかと思います。この後、何を始めても最後までやり通すことができなくなってしまいました。