中途半端のすすめ
始めたことは最後までやり遂げるべし。大人たちにそう言われて育ってきた人は少なくないだろう。日本においてこの「やり遂げる力」は美徳であり、社会生活を送るうえでも、健やかな家庭を築くうえでも、人間として持つべき大切な心構えとされている。
ところが私はこの「やり遂げる力」をまったく強いられない家庭環境で育ってしまった。母は学校へ行きたくないと言えば簡単に休ませてくれたし、習い事でも嫌になれば「じゃあ仕方がない、やめなさい」と挫折を推奨する人だった。はたからみればなんて間違った教育!と感じていたはずだが、私的には母が「やり遂げる力」を無理強いしてこないのが嬉しかった。
そんな母親に育てられた影響で、私も自分の子供には「やり遂げる力」を一切推奨せずに育ててしまった。しかし、不思議なことに親が「やり遂げる力」を強制しないと、子供は自発的に頑張る性質になるようだ。
アメリカのシカゴで生活していた頃、教育水準の若干高いクラスにうっかり入ってしまった息子が勉強のハードさに参っているのを見て、私は「やめてしまえ」と忠告したことがある。しかし子供は「友達もできたのに簡単にやめられるわけない。後悔もしたくない」と意地を通した。
実は私も、17歳でイタリアへ留学したのは、母に「あなたはイタリアへ行って美術を勉強するべきだ、高校をやめてすぐに行ったほうがいい」と推されたからなのだが、イタリアへ行くのはともかく高校を途中でやめるのには不安を覚え、高卒認定資格を取得した。しかし今となっては、母のあの奔放な「途中でやめていい」推奨のおかげで、私は自分の生き方の行動範囲を広げられたと痛感している。
やり始めたからといって、途中で嫌になっても無理やり続けたところで良い結果に繋がるとは限らない。万能の天才として知られるレオナルド・ダ・ヴィンチは、まさにその姿勢を通した人である。ダ・ヴィンチが万能の天才と呼ばれるようになったのは、自分を縛る枷がなかったからかもしれない。もともと非嫡出子として生まれ、複雑な家庭環境で育ったことも無関係とは言えないが、ダ・ヴィンチは根本的に自由人だった。やり始めたからといって、気が向かなければ作業は途中でやめる。『モナ・リザ』が代表作であるダ・ヴィンチが生涯で完成することのできた油絵はたった15点ほどとされている。中には未完ゆえに傑作となった作品もある。
文化と経済が繁栄していたフィレンツェでの暮らしにも嫌気がさせば、ふらりと自分の知らない土地へ移住し、それまでやったことのない仕事を手がけてみたり、それも飽きればまた別のことをやってみたりと、とにかく彼の人生には安定性がない。ひとり者だったのも大きいが、その自由な生き方ゆえにダ・ヴィンチは唯一無二の表現者となったと言えるだろう。
ダ・ヴィンチはまあ特殊な例ではあるが、彼を思うと中途半端というのもまた、人生を謳歌するためには欠かせない、ひとつの生き方だと感じさせられるのである。