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2019年4月の新元号発表の日、菅義偉官房長官が掲げた「令和」の二文字を、多くの国民がニュースや号外で眺めたことだろう。この「令和」の文字を書いたのが、茂住修身さんだ。当時の緊張感や書の奥義を、同じ書家として活躍する木下真理子さんが聞いた。
(構成=内山靖子 撮影=本社写真部)
新元号を書く仕事とは?
木下 新元号が発表された時、「令和」の文字に思わず見とれてしまったという方も多かったと思いますが、茂住さんはどのようなお立場でこの文字を書いていらっしゃるのですか?
茂住 僕は大学卒業後に内閣府の辞令専門官(国家公務員)となり、現在も永田町の庁舎に勤務しています。この職は定員2名。欠員が出ないと、何十年もの間、募集されません。
木下 具体的なお仕事の内容は?
茂住 毛筆で公式の文書を書くことですね。たとえば大相撲で優勝した力士への表彰状や、羽生結弦さんが授与された国民栄誉賞の表彰状も僕が書きました。令和最初のものは、大相撲五月場所で優勝した朝乃山関への表彰状ですね。
木下 各省庁の看板もそうですよね。
茂住 ええ。でも、賞状や看板は僕らの業務の中のごく一部で、通常は辞令や位記を書いています。辞令は総理大臣をはじめ、国の官職や役職に新しい方が任命される際に、その旨を書いて渡す文書です。位記は一般の方にはわかりにくいと思いますが、日本最古の位階制度で、聖徳太子の時代(603年)に制定された冠位十二階から続いています。
木下 それはすごいですね。言ってみれば、位を記す証書でしょうか?
茂住 はい。ただ、第二次世界大戦で敗戦した時に、「人を格付けする制度だから、廃止せよ」とマッカーサーから命じられました。ですが、あまりに長い歴史を持っている制度なので廃止するには忍びない、と。そこで、国の要職にあった人が亡くなった際に、「功績」を讃えるという意味で、亡くなった日の日付で位記を書いて、遺族に渡すようになったのです。今はそれを1ヵ月に1000枚近く書きます。
木下 膨大な枚数ですね。まさに国の根幹に関わる大事なお仕事です。この時代にあって、手で書いているということにも、厳かさを感じます。