徳川慶喜終焉の地看板。大正2年まで生きた慶喜は、年代的に近所の石川啄木や永井荷風とすれ違っていた可能性があるはず。(写真提供:二見書房)
根津神社のお膝元の旧町名。そしてこの堂々たる墨字。肝心の仁丹は看板下部に。(写真提供:二見書房)
『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)
将軍綱吉の母で護国寺創建を発願した桂昌院の大奥女中「音羽」がこの地を拝領したことに由来。(写真提供:二見書房)
西青柳町。ほぼ講談社公園と首都高なので現地に旧町名はなし。なぜか遠く離れた豊島区で看板の文字に発見。(写真提供:二見書房)
東青柳町。青柳も音羽と同様に桂昌院の大奥女中の名だが、配置的に音羽の方が位が高かったのか?(写真提供:二見書房)
永久の町の発展を願って久堅町。町内の播磨坂は桜の名所。(写真提供:二見書房)
昭和42年当時、この12階建の真砂アパートからはどのような景色が眺められたのか。(写真提供:二見書房)
文京区内に存在した他の大塚シリーズは大塚仲町・大塚辻町・大塚上町・大塚坂下町そして大塚町。(写真提供:二見書房)
後方はかつて東大追分学寮という名の異空間だったような気がする。(写真提供:二見書房)
本家の京都仁丹看板。旧町名も仁丹看板のように地域資源としての活動や保存が広がればいいのに。(写真提供:二見書房)
旧町名が公園の門という大変レアなケース。旧町名さがし初心者が現場勘を養うのに大変おすすめ。(写真提供:二見書房)