神田山陽(二代目)。「上野・本牧亭。今日も力いっぱい張り扇を叩くこの私。道楽、放蕩三昧に明け暮れて、はや50有余年。親から授かった巨額の資産を湯水のごとく浪費し、挙句は素寒貧という千変万化。フト、気がつけば明治生まれの講談師は、私がたったひとりと相成りました」(『桂馬の高跳び』より)
大学生のとき友人に誘われていったダンスホールでダンスにはまり、ダンス教師の資格を取るまでに。写真は「サンライズ・ダンス・スタヂオ」というダンス教室を開いたころ
六代目神田伯山「令和の時代にも二代目山陽は生きています」(撮影:栗原 論)
二代目神田山陽の襲名披露宴。「左から評論家の正岡容氏、神田松鯉、邑井貞吉、私、石村匡正氏(初代・山陽の遺児)」(『桂馬の高跳び』より)
「『邪道だ』の非難のなか私は労音寄席、立体講談など次々に斬新なアイデアに挑戦。」(『桂馬の高跳び』より)
「『夏なお寒く……ヒュー、ドロ、ドロ、ドロ……』夏の名物、怪談の一席。演ずるわが山陽一門は、お化けの出没、新工夫で汗だく。右はじの小山陽が後の三代目神田松鯉。」(『桂馬の高跳び』より)
「ただいま門弟は、13人。うち7人がなんともたのもしき女性講談師です。将来が大いに楽しみ。写真は、NHKリハーサル室で立体シラバを指導中。左から紅、紫、香織、すみれ、陽子。いずれも亭号は神田です。」(『桂馬の高跳び』より)