ご近所さんとの立ち話
娘には「もしママに何かあったら窓から大声で助けて、と叫びなさい」と教えていた。
声が聞こえてくるほどの近い距離に隣家はあった。隣の家のご家族とは、仲が良かった。
子どもをもつまでは考えられなかった近所との交流。全く必要がなかったのだ。むしろ、誰にも会わずに駐車場から部屋まで行けるマンションを希望した。ご近所さんとの立ち話なんて無縁の世界にいた。
しかし、子どもをもち、シングルになってみると、ご近所さんが娘の存在や名前を知ってくれていることは防犯上大きな安心感に繋がった。
それにわたしのような面白いがバランスの良くない人間が、一人の考えで娘を育てるより、多くの方の考えを娘に入れてほしかった。
パパやパパの家族、地域、学校、娘と関わってくれる人が少しでも娘を大切にしてくれるような関係作りがわたしの仕事の一つになった。
共生、共存。
生活していくには、必要不可欠なことだという考えにシフトした。
わたしは子をもつまで無縁だったご近所さんとの立ち話の世界に入っていった。
※本稿は、『50歳。はじまりの音しか聞こえない 青木さやかの「反省道」』(世界文化社)の一部を再編集したものです。
『50歳。はじまりの音しか聞こえない 青木さやかの「反省道」』(著:青木さやか/世界文化社)
話題作『母』の刊行から2年。
50歳になった青木さやかが、等身大の自分を率直に綴った書き下ろしエッセイ集。