消費の疑似体験

一方で若者、とりわけZ世代の市場環境は、それ以前の世代と比較すると、ネットの普及やなによりSNSがインフラ化したことで、得られる情報量が圧倒的に増加し、それに伴って消費したいと思うモノやコトと接触する機会も増えた。

今まで知らなかったことに興味を持ったり、潜在的な欲求を満たしてくれる商品やサービスに遭遇する機会も増え、自由に使えるお金は昔より減っているのに、欲しいと思うモノばかり増えていく時代なのである。

『タイパの経済学』(著:廣瀬涼/幻冬舎)

また、消費した結果をSNSに投稿し、他のユーザーからの反応を得ることを目的とした消費文化が定着していることも否定できない。どんな些細な消費結果でもSNSに投稿されるようになり、SNSには他人の消費結果が溢れている。

そのような他人の投稿(消費結果)は、消費に対する疑似体験としての側面を持っている。

だからこそ、そのような投稿を見て消費欲求が駆り立てられたとしても、投稿とともにタグづけられているハッシュタグを見れば同じような消費結果で溢れており、わざわざ自分で消費(購買)する必要があるか、モノを所有する必要があるか、と検討する過程もZ世代の消費行動の一環となっている。

SNSに溢れているということは再現性が高く、言い換えれば誰がやっても同じような結果しか出ないのである。

さまざまな消費の疑似体験がSNSに溢れていて、その現象、その商品、そのエンタメなど一つ一つの消費結果はおもしろそうに見えるからこそ、「わざわざ」自分が消費する必要があるのか探究し、他人の投稿結果の閲覧で満足できてしまえば、消費行動に「わざわざ」移す必要がないのである。

ある意味で他人の行動を検討しているからこそ、自らの消費行動を顧みて消費の必要性を判断しているといえるかもしれない。

ましてやネットのブームのサイクルは速く、皆がこぞって消費しているときに真似しても投稿に対する反応は薄くなり、ブームが過ぎたころにやれば今さら感が生まれてしまう。

もちろんSNSに投稿しなければいいだけの話なのだが、投稿しないと(可視化されないと)その消費はないものと同じという、他人を意識して消費がされるという文化が深く根付いているのである。