《受賞のことば》

どうやら「小説」を書けていた 川越宗一

小説というものが、まだよく分かっていません。

見よう見まねで小説を書いている、というのが偽らざる実感です。小説とはなんぞやと議論を吹っかけられたら裸足で逃げ出すしかないですし、「おまえの小説はなってない」とか「小説ではない」とか言われたら、「そうかもしれません」と答えるでしょう。

分からないままぼくが書いているのは歴史小説で、これは少し確信があります。自分自身が生きている現代という時代について、ぼくなりに考えてみたいからです。

現代は、さっきや昨日あたりにとつぜん始まったわけではありません。過去から連綿と受け継がれてきた歴史の帰結です。過去は現代の原因であり、また現代とは異なる環境だからこそ、現代と変わらぬ人間のありようがより強く浮かび上がっていると感じます。我ながら回りくどいとは思うのですが、過去を通して現代を見てみたいのです。本作では、江戸時代初期にあったキリシタンへの弾圧を題材にしています。

弾圧はとてもむごく、それまで数十万人もいたキリシタンは公式にはゼロになりました。信仰に殉じた人、棄てた人、密かに守り続けた人。いずれも壮絶な選択だったはずです。ですがぼく自身は特定の信仰を持っていません。弾圧については「ひどいできごとだ」と心から思えますが、弾圧された人々の痛みが「分かる」とはとても言えません。信仰を、また信仰を中断させられる痛みを少しでも理解したくて、執筆中は自分なりにいろんな本を読んだり、あれこれ考えていました。

結果、分かろうとするのをやめました。

身近な引き比べで恐縮ですが、ぼくは親しいはずの家族や友人の、その内心を十分に理解しているわけではありません。彼ら彼女らの食べ物の好き嫌いや趣味、どのような理不尽を憎み、なにを善としているか。そのあたりは何となく知っているつもりですが、感情が行き違ってムッツリしてしまうことも少なくない。顧みればぼく自身、きょうはラーメンを食べたいだとか、こんな小説を書きたいだとか、身に湧く衝動の逐一を論理的には説明できません。

ぼくは信仰について「理解」しようとしていました。言い換えると自分なりの理屈で納得し、共感できる対象として捉え直そうとしていて、つまりは懸命に生きる他者を自分の勝手な感覚に押し込めようとしていたわけです。それが理解と呼べる行為か疑問を抱き、また、とてもおこがましいことをしようとしていた、と恥じました。だから、信仰について理解する、分かろうとするのをやめました。

ただ、分からないなりにも他者の感情を想像してみたくもありました。「同じ人間だから」という理屈は個々人をむりやり同質の集団に取り込むような荒っぽさがあるので持ち出したくないのですが、地域なり国なり地球なり、人間は同じ社会を共同して営んでいます。ぼくの友人や家族は、ぼくとそれなりに平穏な関係を保ってくれていますし、ぼくもそうしようと努めています。完全には理解しあえていない他者どうしが、理解できないなりに互いの喜怒哀楽を想像しあい、共存の努力をしているのが現代ではないか。その鏡像として、共存ではなく排除に向かった時代を書けないものか。そんな意図で、ぼくは本作を書きました。

手に負えぬテーマだと七転八倒し、史実を勝手に整形しながら自分の物語に都合よく当てはめてよいかと悩み、関係するたくさんの方に助けられ、なにより読者の方の感想に支えられて(本作は新聞連載でした)、なんとか本作を書き終えることができました。

といっても冒頭で申した通り、見よう見まねの小説です。達成感や愛着と同時に不安も尽きなかったのですが、このたび中央公論文芸賞をいただいたことで、どうやら小説を書けていたと安心できました。望外の光栄を励みに、これからも小説を書いていこうと思います。

<川越宗一さん>(撮影:大島拓也)